向こうからの攻撃は続く。殆どが術攻撃なので中々レインに近付けなかった。リネとマロン、そしてセルシアが未だ動けずに居る。
後ろの方で床に座り込んでじっとしている3人の内、リネが不意に驚いた顔をした。
一体どうしたんだ?一旦リネ達の方に引いて彼女に問い掛けてみる。
「どうしたの?」
問いに対して唖然とした顔の彼女が嗄れた声で叫んだ。
「レイ、ン…何で……詠唱、してないの…?」


*NO,95...I want to feel happy...*


――そういえば確かに…。
リネに言われるまで全然気付かなかったけど、レインはさっきから低位な術から高位な術まで、全て詠唱を‘省いて’使用している。
詠唱は言わば術の‘セーフティー’代わりのモノだ。それを省略するという事は術が使用者の意図に反して発動される事が多い筈。
そして最悪は術が使用者に襲い掛かって使用者が命を落とす事だって――…。
それなのにどうしてレインは詠唱を全部省略してる?そして何度も省略しているのに術が暴走しないのは何で??
「――リセンディリム」
色々考えている内にレインが再び術を撃ってくる。…やっぱり詠唱は省略している様だ。本当にどういう事?!
意味が分からずに呆然としていると術の攻撃が此方に襲い掛かってくる。
寸での所でアシュリーとロアが飛び込んできて術を四散させてくれた。
「…ねえ、お願い。そろそろ本当に立って。3人だけじゃレインには勝てないから」
攻撃を防いでくれたアシュリーがリネ、マロン、そしてセルシアの3人に声を掛ける。
…レインが半端無く強い事なんて、傍に居たあたし達が一番知っている。だからこそ断言出来るのだ。‘3人でレインに勝つ事は不可能だ’って。
声を掛けて暫くした後。――涙を拭ったリネが立ち上がった。
「レインの…馬鹿!!!」
一言思い切り叫んだ彼女がその場で詠唱を始めた。
…リネは振り切ってくれたみたいだけれど、やっぱりマロンとセルシアが依然と立つ気配を見せない。
無理も無い、か……。マロンはレインと結構親しい位置に居たし、セルシアもレインからあんな話を聞かされたら刃を向ける気も失せてしまったのだ
ろう。リネが立ち上がってくれただけ十分嬉しいけれど…やっぱり4人じゃ多分勝てない。
ううん、6人で挑んでもレインには勝てないのかも…。

レインは今までずっとあたし達の傍に居たんだから、こっちの戦い方だって十分把握している筈だ。
だから今こうして対峙してもレインには傷1つ付けれない…。

「スノーグランクル」
「全てを焼き払い凪ぎけ、地獄の業火よ――デスブラッシャー!!」
レインの放った氷系統の術をリネが火系の術で上手く打ち消す。
一旦後ろに下がった彼女が此方の肩を叩いてきた。振り返ると俯いたまま肩を震わせるリネが小さく呟く。
「…大技、出すから。時間稼いで」
「……最高位魔術?」
此処に来る前、彼女はレグロスから高位魔術増幅器を受け取っている。アレが有る今のリネなら最高位魔術だって使える筈だ。
問い掛けるとリネが小さく頷いた。…体が震えているのは、初めて最高位魔術を試す人間が‘レインだった’という事だろう。
軽くリネの肩に叩いて、それから大きく頷く。
「任せたわよ」
「……うん」
小さく頷いたリネがもう一歩後ろに下がって詠唱を始めた。足元に浮かび上がる魔方陣が通常より遥かに大きい。――あれが、最高位魔術。
見とれている場合では無いと思いレインと向き合ってもう一度高く床を蹴った。
レインに向け剣を振るい下ろす物の、相変わらず魔術で弾かれて此方の軽症に終わってしまう。
…やっぱり接近戦は無理だ。下手にレインに近付くと術で袋叩きにされる可能性が高い。
此方に向かって再び飛んでくる術をかわし、何とかマロン達の方にもう一度戻る。
近距離攻撃が聞かないんだから、後衛援護の出来る2人には何としてでも立って貰わないと困る。
「マロン、セルシア。お願い、立って!!」
「……」
マロンの方が微かに足を動かすが、セルシアは本当に無気力だ。俯いたまま静かに涙を零してその場を梃子でも動こうとしない。
…やっぱりセルシアは無理か。しょうがないって言ったらしょうがないけど…でも立って貰わないと困る。
「あんた今まで散々悔いて来たじゃない!
確かにレインの言ってる事は全部真実かもしれないけど――それを必死に償おうとしているセルシアにあんな事言うのはレインが悪いわ」
「……いや…レインの言葉は真理だよ……。…やっぱり、俺も死ねばよかった…9年前のあの日に…」
「馬鹿な事言わないで!!」
軽く肩を揺さぶるがセルシアは如何足掻いても立ち上がりそうに無い。…レイン同様瞳に色が無いのだ。全てに脱力してしまった、無気力の瞳。
きっとそれほどまでにショックだったのだろう。レインとノエルのあの言葉。
――10年前の‘もう1つの悲劇’が。


「…どうしても、戦わないと…駄目なのかなぁ……?」
涙ぐんだ声。マロンが少しだけ悲しそうに呟いた。
「……」
答えれずに俯いているとマロンが少しだけ腰を浮かせて少しずつ立ち上がる。
先程のリネと同じく溢れる涙を必死に拭いながら彼女が言った。

「…駄目…だよね…。…ちゃんと向き合わないと……」

…向き合う。
マロンの言葉は最もかもしれない。あたし達はレインと…ううん、レインの‘心’と向き合った事が無かった。
それは彼が何時も偽りの笑顔を浮かべていた所為ってのも多少有るけれど…正しく言えばあたし達がレインと向き合う事を‘しなかった’んだ。

向き合う事なんか何時だって出来た。彼の闇に気付く機会なんて山ほど有った。
それでもあたし達はそれを無視して、彼と一度もまともに向かい合わなかった。
腫れ物を扱う様にしてレインの過去に喰い付いた時期も有ったのに、そんな時でもやっぱりレインと向き合う事は一度もしなかった。
――あたし達が本当に無垢だった事は、‘誰かの心の闇と向き合う事’だったのかもしれない…。
そう。だからセルシアの抱える心の闇にも気付く事が出来なかった。
幽霊船と接触した後、彼が癇癪を起こしたのは彼の心の闇と知っていてもあたし達は一度も彼と向き合おうとはしなかった…!

…これがその結末。誰かの心からの助けに手を差し出さなかった末路何だ。
セルシアとレインの2人こそがきっと無垢だったあたし達の被害者。

「――アクエス」
同じく色の無い瞳をしたレインが無表情に此方に術を撃って来た。
「我が力となりし物よ、大いなる壁を造り敵を阻め賜え――ミスティックゴーデル!!」
降り注ぐ水の中級魔術を傍に居たマロンが防御術で弾き返す。
それとほぼ同時――リネが十字を切る様に高く腕を振り上げた。
「そして灼熱の大地に眠る忌まわしき力を振るい、今此処に槍となりて立ち上がらん――!!」
彼女の足元には格段に大きい紅の魔方陣が出来上がっている。…完成、したんだ。
少しだけ躊躇いの顔を浮かべたリネが、それでも思い切り腕を振るい下ろした。

「受けよ、業火の裁き!――キングデスフレア!!!」
言霊と同時にレインの周りに灼熱を帯びた太陽の様な球体が現れ、そしてレインに向かって降り掛かる。
それを何の変哲もなく無表情に見つめていたレインが攻撃の当たる一歩手前で――。

……消えた。







「ウォーターグリンクス。…水の最高位魔術。お前も少しは勉強したんだろ?」

呆然とするリネとあたし達に対し、レインが少しだけ口元を釣り上げて答える。
「…嘘、でしょ」
リネがぽつりと呟いた。でもそれは此処に居る全員が思った言葉に違いない。
レインは確かに今まで詠唱を省いて此方に攻撃してきた。
恐らく増幅器や魔術補助器を幾つも使って詠唱失敗の確率を極限まで減らしていたのだろうと思っていたのだが――。
…そんな小細工じゃ最高位魔術を詠唱無しで使用するのは不可能だ。
最高位魔術を詠唱無しで使用何てすれば――確実に術は暴走し使用者の命を喰らう筈。
それなのにどうして――レインは詠唱無しで最高位魔術までも使用したの?!


「お返しだ」
唇を釣り上げたままレインが腕を振り上げる。――誰もその場を動けなかった。
「――サンダーバード」
彼が紡いだのは、また…最高位魔術。
そしてそれは暴走する事もなく当たり前の様に発動し、リネに向かって襲い掛かった。
咄嗟に身を投げてリネを庇う様にして倒れる。
だが最高位魔術故に簡単にかわす事は出来なかった。リネを庇って彼女が無傷で済んだのは良かったけれど――向きを変えて再び此方に突進
してきた雷の鳥があたしに直撃した。
「あぁぁああっ!!」
眩暈がする程の痛みに、大きく体が痙攣して床に倒れる。
「イヴ!!」
誰かが名前を呼んだ声が鮮明に聞こえた。それからマロンが慌てて傍に寄って来て、抱き起こながら傷を確認する。
リネは呆然と此方を見ている物の外傷は無いみたいだ。とりあえず彼女に傷が無くて安心した。
…薄目だった瞳を閉じようとした時、視界の端が微かに揺れる何かを捕らえる。少しそっちに目をやると――セルシアがその場を立ち上がってい
た。

「…レインの言った事は、全部本当だよ。
俺が全部悪いんだ。俺の…ううん、俺とリトのした行為はグローバルグレイスという1つの街を滅ぼして、沢山の人を殺した」
「そうだ。全部お前が悪い」
――レインの言葉に、セルシアが顔を上げて彼を睨みつける。その瞳には涙が溜まっていた。



「だったら傷付くのは俺だけで良いだろ?!関係ない奴にまで手出すな!!」

…それがきっとセルシアの思い…。
多分術の直撃を食らったあたしを心配しての言葉なのだろう。何処までもセルシアは‘自己犠牲タイプ’だ。
セルシアの言葉を聞いたレインが眉間に皺を寄せる。彼も又叫ぶ様に声を荒げた。
「ふざけんな!!――関係ない奴なんて此処には居ねえ。…てめぇ等全員、同罪だ!!」
そう言ってレインが再び術を放つ。標的はセルシアだった。
それを寸ででかわしたセルシアがレインに向かって戦輪を投げ付ける。
――飛んでくる戦輪を、レインが素手で受け止めた。そのまま地面に戦輪を投げ付けたレインが皮肉を唄う様に叫ぶ。
「俺が憎いなら俺を殺せよ!!」
叫んだレインが術を振るい下ろした。
…少しだけ術の勉強をしたことがあるから分かる。アレは‘ルナティックルディエ’――闇の最高位魔術魔術だ……。
判断してる間に黒の刃が幾重も降り注いで来る。
全体攻撃魔術だから、避ける場所は何処にも無かった。6人全員が攻撃を喰らって床に屈服する。



――やがて静まり返ったホールの中を、レインが静かに歩み出した。
セルシアの傍に寄って、傷を負った彼の髪を掴み上げる。
「楽に殺したりはしねぇ。苦しんで死ね」
そう言ってセルシアの胸に槍を突き刺そうとする彼を止めようと、傷の浅いアシュリーとロアが飛び掛る。
攻撃しようとする2人の方を振り返る事なく、レインが静かに呟いた。
「――グランドダーツ」
「っ――!!」

…それは地の最高位魔術。
先程のイヴ同様最高位魔術を直撃で喰らった2人が悲鳴を上げて今度こそ地面に倒れた。
――誰も、動けない。
それを確認したレインが再びセルシアに槍の先を向けるが――やがて槍先をセルシアに突き刺す事なくセルシアを離してその場を再び歩き出す。
マロンとイヴの傍に寄ったレインがイヴの指先から青のネメシスの石を取り上げた。その手には既にセルシアの所持していた赤のネメシスと黒の
ネメシスが握られている。…先程抜き取ったのだろう。
彼はそのままノエルの居る螺旋階段に向かって歩き出してしまった。
…青のネメシスを取り上げたレインが、刹那悲しそうな表情をしたのは気の所為だろうか……。



「これで全部だ」
ノエルの傍に寄ったレインがノエルにあたし達から奪ったネメシスの石を全て手渡した。
「有難う。…で?彼等はどうするの?」
…彼等って、あたし達の事か……。…多分殺す選択になるのだろうと思ったけれど、レインが予想外の言葉を投げてくる。
「その辺に捨てておけば良いだろ」
「殺さないの?」
ノエルの言葉は最もだ。何でレインはあたし達を殺す選択をしなかったのだろう。
彼女の問いに対しレインがぽつりと――小さく、本当に小さく呟いた。





「俺は唯…幸せになりたかっただけだ…」




――‘幸せになりたかった’…。
それはセルシアとリトも一緒だった筈だ…。2人は唯幸せになりたかった。特別な事を望む訳ではなく、唯リネと3人でこれからも一緒に暮らしたか
った。それだけだったのに――運命は彼等を残虐な道に立たせ、リネとセルシアに9年前の十字架を背負わせた……。
そして運命は3人の未来を狂わせただけでなく――レインとノエルの運命も覆した。
レインも本当は幸せになりたかった。それだけだった。
彼もまた特別な事を望む訳でもなく、普通の暮らしをしていきたかった…。きっとそれだけだった筈だ。


……‘俺が憎いなら俺を殺せ’…。…さっきレインはそう言った。
ねえ、ちょっと待って。もしかしてレインは……。
…レインが本当に願っていたのはセルシアに懺悔させる事でも無ければ、幸せだったあの日々を取り戻したい訳でも無く――――………。







…視界が除々にぼやけてくる。待って、あたしはまだレインに聞かないと行けない事がある。
レインが‘本当に望んでいた事’は………。

……必死に声を出そうとするが呻き声さえももう出す事が出来ず、そして意識が完全に途絶えた――。










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