一瞬体が空中に浮く様な、不思議な感覚を経て。
瞬きをしたその瞬間。――その場所は既に塔の外だった。
どうやら本当に此処まで転送してくれたみたいだ。…疑ってた訳じゃあ無いけど、何だかほっとした。
近くに佇む雪の積もった木の傍に座っていたライカが腰を浮かし、此方に寄って来る。帰って来た事に気付いたみたいだ。
「どうだったの?」
「――大丈夫、だった」
その言葉に、ライカが安堵した顔を見せた。


*NO,125...最期の夜・前*


ウィンドブレスに帰る間。ライカに色々聞かれはしたものの、どうしても夢喰いを封印するのに自分達の命を使う事は言えなかった。他6人もそれは
承知してくれてるみたいで、誰もその件については触れようとしない。そしてライカ自身も気付いて無いから問い掛けてこない。
…多分、これで良いんだ。話してしまえば、きっと決意が揺らいでしまうから。これで、良い。
そうこう話している内にウィンドブレスに到着する。
――迷ってる時間は無い。此処に戻って来るまでの間。リネが一度イアリング状の通信機を使って誰か―恐らくレグロスとネオン―と交信していた
所を見ると、多分夢喰いの浸食は深まっているのだ。
「もう、行くのね」
「…はい」
頷けば、目を細めて彼女が頷いた。

「止めはしないわ。止めたって無駄何だろうし」
苦笑する。彼女の言う事は最もだ。止められたってもう止まれない。止まる訳には行かないから。
頭を下げた後、お礼を言って別れようとすると呼び止められた。
「ちょっとだけ待って。…夢喰いの本体の居場所を、突き止めるから」
…神官にはそんな事も出来るのか。足を止め彼女の方をじっと見つめた。
目を伏せたライカは一歩もその場を動く事無く、瞑想の様なものを続けている。
数分経った所で、彼女は漸く顔を上げた。

「空の、上。…建物か何かが浮いてたわ。そこの最深部に、居る」
「それ、きっとBLACK SHINE本部です」
成程。本体はまだBLACK SHINE本部に居るのか。それなら話は早い。
最深部っていうのは多分ヘレンが封印を解いた場所だろう。場所も分かってるんだからいちいち悩む必要も無い。
「有難う御座いました」
「…気をつけてね」
お礼と同時に頭を下げ、今度こそライカと別れる形になった。
見送る彼女に何度も手を振りながら、街から離れた森へ足を踏み入れる。…流石に街の近くでジブリールを呼び出すのは不味いだろう。それこそ
騒ぎになりかねない。
一息吐いた所でジブリールを呼び出す為アシュリーに笛を吹いて貰う――前に、レインに肩を掴まれた。
「図々しいけどさ、寄り道。して良いか」
「…グローバルグレイス?」
「……正解」
図星だったらしく、レインが苦笑した。…と言っても、レインが‘寄り道’しようとする場所何てそこしか浮かばなかったから、その場所を出しただけな
んだけど。
「…ごめん。あたしも一回、リーダーの所行きたいかも」
便上してリネが申し訳無さそうな声を上げた。…SAINT ARTS本部と、グローバルグレイス。近い位置に有るし、寄り道して問題の有る距離でも無
いだろう。2人もやりたい事が決まってるならきっとそれなりに早く済む筈だ。
「じゃあ私から提案」
そんな中でアシュリーが声を上げた。皆が彼女の方を向いた所でアシュリーは淡々と言葉を続ける。
「どうせ皆寄りたい場所が有ると思うから、ジブリールにそれぞれ行きたい場所に送ってもらって、翌日迎えに来てもらう…て言うのはどう?
それならきっと効率も良いだろうし…私も一度お父さんに会いたいから」
…確かに。そっちの方が効率が良いかもしれない。
皆で何度もいろんな場所を駆け廻るより遥かに早く終わりそうだ。
あたしも行きたい場所が、有る。――1つだけ。どうしても行きたいと思う場所が。
「賛成。我儘言って悪いけどな」
別に我儘とは思わない。夢喰いの封印には自分達の命を掛ける事になる。
つまり、一度BLACK SHINE本部に行けばもう還って来れないのだ。多少未練とか有っても可笑しく無い。
「じゃあ、皆行きたい場所言ってって。ジブリールにお願いするから」
「俺はグローバルグレイス」
アシュリーの言葉に真っ先にレインが返答した。
「私も行ってもいい?」
レインの言葉にマロンが彼に問い掛ける。…レインが気になるのか、それとも彼女もグローバルグレイスで何かする事が有るのか。分からないけど
マロンが決めた事ならそれで良いと思う。レインも少しだけ微笑んで頷いた。
レインとマロンがグローバルグレイス。じゃあ他の皆はどうするんだろう。
「あたしはSAINT ARTS本部で」
「…俺もそっちかな。一度リーダーのお墓に行きたいから」
リネの言葉にセルシアが便上する。…てっきりセルシアもグローバルグレイスに行くのかと思ったけど違うみたいだ。リトの事、少しは吹っ切れたの
だろうか。それとも今はリーダーに会いたいのだろうか。…どっちもな気がするけど。
「俺は此処に残る。…姉貴と、もう少し話して来るよ」
「そう…。じゃあ、明日迎えに行くわ。……私はグランドパレー諸島だけど、イヴは?」
「――cross*union本部」
行っておくべきだと思った。もう一度話をするべきだと、頭の何処かで思っていた。
お世話になった恩師とも呼べる人のいるunion。確かにBLACK SHINEを裏で操り、あたし達を一時期捕えたりでちょっとうんざりしていたunionだけ
ど。
レインに頼まれたとは言え、BLACK SHINEでレインと戦った時に助けてくれたのは紛れもないあの人で。
そしてもう一度BLACK SHINE本部に行く前にも、背中を押してくれた人で。
やっぱり、私はあの人ともう一度話がしたい。そう、思っていた。
「…俺も行こうか?」
心配したのか、ロアが声を投げて来る。
「平気よ」
彼の‘したい事’を邪魔する気は無い。首を横に振って否定した。
――全員の行きたい場所が決まったところで、アシュリーがポケットにしまって居た笛を静かに鳴らす。
静かな旋律が微かに聞こえたと同時――空から轟々と音を立てジブリールがやって来た。
「行きたい場所がそれぞれ違うの。それぞれの場所に送って欲しいんだけど、」
「…承知した」
首を縦に振った龍が背中に乗る様促して来る。
ロア以外の全員が乗った所で、ジブリールは空へと出発した。



* * *



最初にジブリールが寄ってくれたのはSAINT ARTS前だった。
セルシアと2人、草原に降り立った所で龍がまた翼を広げ大空へ飛んで行く。
「…あたし、本部に行って来るから」
2人きりになったところで、セルシアに声を掛けた。
その声に此方を振り返ったセルシアがにこりと微笑んで来る。
「分かった。じゃあ俺、リーダーのお墓に行って来る」
「…後から、行くね」
「……うん」
セルシアが肯定の返事を返してくれたところで、一旦セルシアと別れSAINT ARTS本部まで小走りに近付く。
本部まで辿り着いた後に、早々に扉を開けて中に入った。本当はインターホンを押して戻ってきた事を伝えてからじゃないと入っちゃいけない決ま
りなんだけど、そんな事してる時間が惜しい。早く要件済ませて、セルシアの所に行きたい。…リーダーに会うのが嫌って訳じゃないけど。
本部の廊下を再び小走りに通過する。寄り道する事無く真っ直ぐにリーダーの部屋を目指し、やがて辿り着いた扉のドアをノックした。
「リネ・アーテルムです。報告が合って来ました」
「…開いてるよ」
中から聞こえてきたレグロスの声に、ドアノブに手を掛け扉を開いた。
部屋の中には深刻な顔をして座っているレグロスと、書類の束を抱えるネオンの姿。
「…イヴちゃん達は?」
「今、別行動してます。セルシアなら近くに居ますけど」
呼んで来た方が良いか提案したが、レグロスが首を横に振った。
それからネオンに案内された椅子に腰掛ける。…長い話になると見込んでいるのだろう。
あたしも話さなくちゃいけない事がいっぱいある。あたしがレインに適応して貰った刻印の事や心龍の事……。…話が長くなるのは明白だ。
「何か方法は見つかったかい?」
「…見つかりは、しました」
レグロスからの問いに頷き、そして丁重に心龍に合った時の事を話した。
そして、心龍から受け取った心具の事。――あたし達の背負う‘リスク’も…ちょっと躊躇したけど、でも話した。


全て話した所で、レグロスの手が肩に触れた。

「…それで、リネは後悔しないんだね?」
「……しません」
どうせあたし達には死という選択肢しか残されてない。
それなら、世界を救いたい。
「平気です、あたしは。もう独りじゃないから」
ずっと曖昧な判断ばっかりで、逃げてばっかりだった弱い頃の私。
――此処まできて、やっと変わる事が出来たの。
それは全部、イヴ達のお陰だから。
だからあたしも。彼女達に出来る限りの恩返しをしたい。
例えそれが私が死ぬという選択肢でも…皆が居るから、怖くないの。

「……そう、か」
少しだけ俯いたレグロスが寂しそうに笑った。
…リーダーには3年間ぐらいずっとお世話になってた。
だから私とリーダーの間にも少なからず信頼関係が出来てた。きっと、心配してくれるんだと思う。
「本当にそれしか道が無いのよね?」
横からネオンが声を掛けて来る。…小さく頷いた。
そう。これしか道が無いのだから、やるしかない。
お世話になった人を守る為にも。

「きっと、此処に来れるのは最期だと思います。だから、会いに来ました」
改めて頭を下げる。…寂しそうに笑ったレグロスとネオンが頭を撫でてくれた。
「結局君等7人に押し付けてしまう結果になってしまったね…。ごめん」
「…気にしないで下さい」
精一杯の笑顔を返す。…2人の顔を見るのも今日で最期だと思うと、何だか不思議な気分になった。
正直、死ぬという自覚が無い。
余りにも急すぎる話だったからかもしれないけど。とにかくそんな感覚が微塵も無いのだ。
「あの、それで。もう1つだけ聞いて欲しい事が有るんです」
上服を脱いでインナーを無理矢理引っ張って肩を出した。
――レグロスとネオンの目線が、肩より下。背中の方に下りる。

「レインに、やって貰いました。――‘術式解呪烙印’…。…魔術を、詠唱無しに使う為の刻印です」
良ければ研究の足しにして下さい、と言葉を続けとりあえず苦笑した。
――レグロスが背を向ける。変わりにネオンが近付いてきた。
「詳しく見せて貰って良い?」
頷き、近くのソファーの上に寝転がった。
ネオンがインナーを下から持ち上げ、背中に彫られた黒の刻印をじっと眺める。
「…確かに、この原理なら詠唱無しで術が使えるわね。…こんなもの、レイン君は何処で?」
「……あいつ、BLACK SHINEの一員だったんです。
この技術はBLACK SHINEのリーダーが考えたモノって言ってました」
苦笑を浮かべると、ネオンも少しだけ苦笑を浮かべた。
彼女は背中に彫られた刻印を眺めながら紙に背中と同じ刻印をメモしていく。
それが出来上がった所で、ソファーに座りなおした。
メモされた紙を持って後ろを向いていたレグロスの方にネオンが駆け寄る。
刻印がメモされた紙を受け取ったレグロスが、それをじっと見つめた。
「……BLACK SHINEリーダーの技術、か。ありがとう。また詳しく研究してみるよ」
レグロスの言葉に安堵を零した。
これで少しでも刻印を適用する人間が増えれば良いと思う。確かにあれは死ぬほど痛いけれど、手に入れさえすればとても便利だ。現にゲリオン・
テリア内では詠唱無しで動ける事でかなり負担が無くなった。
対夢喰い戦も、これと心具が有ればどうにか出来ると思う。あたしはそう信じてる。
座っていたソファーを立ち上がり、脱いだ上服を持ってレグロスとネオンの傍に寄った。
「それで。夢喰いは今どんな状況なんですか?」
「……結構広がって来てるね。
この前、この大陸の端で紅い雨が降ったと、隊員から連絡が合った」
…この大陸の端、って言うときっとクライステリア・ミツルギ神殿のある辺りだ。もうあんな所まで来てるのか。
どうやらあたし達が1週間とちょっとウィンドブレスに滞在してる間に自体は大分急を要する展開になってきているようだ。もう迷ってる時間なんて無
い。――明日、BLACK SHINE本部に行く。これはもう決定された事。

「……あたし、セルシアに会って来ます」
急に心細くなって、セルシアに会いたくなった。
レグロスとネオンに頭を下げ、部屋を飛び出す。
そうして再び本部の廊下を小走りに走りだした。



* * *

リネがSAINT ARTS本部に走って行く姿を見送りつつ、自分はリーダーの墓のある草原へと足を踏み入れた。
此処に来るのが随分懐かしく感じる。
立てられた墓の前で足を止め、添えられた花と墓標に向かって手を合わせた。
――何時だったか、イヴにリーダーの最期を聞かせて貰った。
あの人は最期まで俺の事を心配してくれてたらしい。自分の命だって危なかったのに。

…俺もそんな人になりたいと強く願っていた。
誰かの為に命を掛けれる。そんなリーダーに俺は強く憧れてたんだ。
俺の命も明日で終焉だけど、あの人に少しは近づけたんだろうか。
目を閉じる。目蓋の奥が熱くなって、一滴の涙が滑り落ちた。
死ぬのが怖い訳じゃない。これが俺の運命なら、俺はこの運命を受け入れる。だけど、どうして俺は泣いているんだろう。
服の袖でそれを無理矢理拭い、踵を返した。
リネの姿はまだ見えない。きっとまだレグロス達と話をしているんだろう。募る話も有るだろうし、帰って来るのはまだ先、か。
これ以上此処に居ても無意味に等しい。
だから最後にもう一度リーダーの墓に向かって頭を下げ、それから草原を再び歩き出した。
すれ違っても困るから、SAINT ARTSの入口で待っていよう。
そう思っている内にSAINT ARTS本部まで到着し、入口に腰を下ろす。
――1分、5分と待った所で突然本部のドアが音を立てて開いた。
驚いて振り返ると、息を切らしたリネの姿が有る。
「どうしたの?早かったね」
苦笑するとリネが飛びついて来た。…飛びついてきて、そのまま胸の中で泣きだしてしまった。
きっと自覚してしまったのだろう。自分は明日‘死ぬ’という事を。
15歳の彼女には余りにも怖い事なのかもしれない。俺はもう感覚が鈍ってるから、よく分からないけど。
でも、彼女が目先の恐怖に怯えているのは確かで。
「…大丈夫だよ」
優しく声を掛けて上げた。頭を撫でてやると、リネが少しだけ落ち着きを取り戻す。
――大丈夫。何が大丈夫なんだろう。自分の言ってる事の矛盾に思わず苦笑した。そして、リネの体を強く抱きしめた。


本当は俺も、何処かで怯えてる。

俺達に明日は来ても、明後日は来ない事に。



* * *



――マロンと一緒に、ジブリールの背中から飛び降りる。
そうして龍は西の空目がけて飛んで行った。…アシュリーをグランドパレーに送りに行ったのだろう。
廃墟へ取り残されて、マロンに向けて苦笑する。
「別に着いて来なくても良かったんだぜ?マロンはやりたい事、無いの?」
「…無い訳じゃないけど、」
彼女もまた苦笑した。
「行ったら、きっと決心が揺らいじゃうから」
「…はは。そりゃ俺もだ」
苦笑を浮かべたまま、グローバルグレイスの中に足を踏み入れた。
前にセルシアが案内した下水道へ続く井戸を通り抜け、過去に俺とノエルが住んでいた家へ歩き出す。
横を歩くマロンが時折此方を見上げてきた。
「…どーかした?」
「……ホントはね。レインには聞いてほしい事が合って着いて来たの」
「俺に聞いて欲しい事?」
小首を傾げると、此方を向いていた彼女が少しだけ俯いた。
  









BACK  MAIN  NEXT