レインに指示され隣の部屋に入ると、セルシアがベッドに座って泣いていた。…この調子だとリネと仲直りしようとして失敗したんだろうな。
黙って傍に寄り、シーツの上に置いてあった応急箱に手を掛ける。
「大丈夫?」
問い掛け、彼の顔を覗くと――目の下辺りから真赤な血が溢れ出していた。相当深く切っている様だ。…これ、きっとリネがやったのよね??
何が起こったのかよく分からないけれど、とにかくセルシアの傷の手当をしないと。そう思い、応急箱の中身を探った。


*NO,65...茨姫の鎮魂歌*


「…傷、平気?」
問い掛けるとセルシアが軽く頷く。…まあ傷が痛むから泣いている訳じゃ無さそうだし、平気な方何だろう。
とりあえず彼の涙をティッシュで拭ってから、傷口に消毒液を軽く塗った。セルシアが痛そうに顔を歪める。
それでも消毒しない訳には行かないので傷口全体に消毒を塗り、応急箱の中からガーゼを取り出した。…横長サイズの絆創膏が見当たらなかっ
たから、マロンが帰ってくるまではこうするしかない。そう思いつつガーゼをテープで軽く固定する。
「痛くない?」
「…平気。ありがとう……」
そう言ってセルシアが薄らと笑った。…何時にも無く元気が無い。またリネに何か言われたんだろうな。
聞いてもきっとセルシアの気持ちを害するだけだから聞けないけど。
そんな中やっと廊下からレインが帰ってきた。既に廊下は静まり返っている。リネも大人しく部屋に戻ったようだ。
「セルシア、傷平気?」
「……大丈夫」
相変わらず元気無くセルシアが笑う。無理して顔を引きつらせているのが近くで見るとかなり分かった。
レインが向かい側のベッドに座る。…沈黙。何を話して良いのか良く分からなかった。とりあえず何故こうなったのかという事情を知りたいが聞くと
セルシアがきっと不快な気持ちになる。
不穏な空気が流れる中、言葉に詰まっている扉がゆっくりと開く。
「……おいおい、何でこんな静まってるんだよ」
「…何かあったの??」
顔を覗かせたのは事情を全く知らないロアとマロンだった。後ろにはアシュリーの姿も見える。3人は同時に帰ってきたみたいだ。
「…リネっちがセルシアに逆切れした」
セルシアとリネの間にあった事情を唯一知る人間であるレインが口を開く。…逆切れって、セルシアもリネも一体何したのよ。
「マロン。悪いけどセルシアの傷の手当してあげて。応急処置しか出来なかったから」
「…あ、うん。分かった」
部屋に入ってきたマロンがセルシアの傍に寄り、隣に腰を下ろす。彼女が部屋に入ってきてからロアとアシュリーも遅れて部屋に入り扉を閉じた。
とりあえずセルシアの傷はマロンが治してくれるだろう。深い傷とはいえ其処まで痛そうでも無かったし…暫く安静にしていればきっと平気だ。
それよりも問題はリネ。…きっと彼女も今頃部屋で泣いているだろう。まして全員こっちに揃ってるから自分が悪いって余計に自分を問い詰めてい
るんじゃないだろうか。リネ自身も本当はセルシアの事許したいって昨日言ってたし。
「BLACK SHINEについての情報は後で話す。とりあえずリネの様子見てくるわ」
そう言ってベッドを立ち上がると前に立っていたロア達が驚いた顔をした。
「何か情報掴んだのか?!」
その調子だと3人は特に大きな収穫が無かったのだろう。いや。正直自分もヘレンから聞いた情報だからあんまり信用出来ないんだが。
「とりあえずそれ。神殿に落ちてたそうよ。セルシアに帰すわ」
ポケットから黒のネメシスを取り出し、セルシアに向かってほおり投げた。受け取った彼が驚いた顔をする。…当然他の皆も唖然とした顔を見せ
た。
「何でイヴっちが持ってんの?!」
というレインの声を聞きながら、部屋を出る。…そして、静まり返った隣の部屋の扉をノックした。――返事は無い。
「…リネ?入るわよ」
声を掛け部屋の中に入る。…リネはベッドに潜って小さく嗚咽を吐いていた。やっぱり泣いてる。
傍に寄ってベッドの端に腰掛ける。そして枕に自らの顔を押し付けている彼女の頭を軽く撫でた。指先が彼女の頭に触れた途端、リネが勢い良く
顔を上げる。…正直びびった。
「……セルシア…は?」
大粒の涙を零す彼女が恐る恐る問い掛けてくる。やっぱりあの傷はリネが付けたんだ。
「平気よ。そんなに痛まないみたいだし、今マロンが帰ってきたから治療してる」
「……良かった」
ぽつりとそう呟いたリネが、また泣き出してしまう。…この調子だとリネがセルシアを傷つけたのは確定っぽいな。
事情は後からレインにこっそり教えてもらう。とにかく今は彼女を元気付けるのが先だ。
声を掛けようとして――先にリネが声をあげた。
「あたしっ……セルシアが…謝りに来て、くれた…のにっ……許してあげれなかった……っ」
「…リネ」
「許さなくちゃいけないのに…。…あたしが、悪いのに……っ!!
……セルシアを目の前にすると…思っても無い事が口に出るの……。…ホントの事が言えなくなる……」
彼女はそう言ってまた泣き出してしまった。
…セルシアを前にすると本音が言えなくなる。か。
元からリネはそうだったからな。セルシアの言葉には必ず棘のある言葉で返していたと思う。
だからこそこういう時になっても素直になれなかったんだろう。本当はセルシアの事を許したい。自分もごめんね、って言いたいのに。本音とは裏腹
の言葉が飛び出してしまう――。そういう事なんだろう。
「…セルシアだってきっとそんなの分かってるわよ。幼馴染でしょ?」
でもセルシアは今までそれをちゃんと理解してた。だから今回もきっと分かってるんじゃないだろうか。
そう思ったけれどリネは直ぐに首を横に振る。
「…きっとセルシア……あたしの事…嫌った…。……また…セルシアに…死ねって言ったもん……」
「……」
…だからセルシアは泣いていたのか。彼女に‘死んで’と言われるのが、彼にとっては何よりの苦痛だったに違いない。
それにセルシアって意外と冗談が通じない所が多い。
……本気に、してるんだろうか。本当にリネに死んで欲しいと思われてるなんて考えているんだろうか。
「それに…あたしがっ……。…あたしが…セルシアを傷付けた……!!」
「…頬の傷の事?」
問い掛けると、リネが小さく頷く。…予想はしていたがやっぱりリネが付けた傷だったのか。何となくその時の情景が分かってきた。
つまりセルシアはリネに謝りに来たのだろう。けれど彼女は本当の事が言えず彼に死ねと言って、彼の事を傷つけてしまった。
リネはそれを悔やんでいるのだ。そしてセルシアは死ねと言われた事に深い傷を負ったに違いない。
…すれ違い。2人の思いは何処までも平行で、一直線だ。それは決して交わる事のない思い。

何て励ませば良いのか分からなかった。無茶苦茶な励まし方をしたって帰ってリネが落ち込む事ぐらい分かっている。
言葉に困っていると、やがてリネが此方を見上げて来た。
「……あたし…ちゃんとセルシアに謝りたい……」
「…うん」
「今度はあたしから…ちゃんと……謝りたいよ……」
そう言って又泣き出す彼女の頭を優しく撫でて上げた。きっと今の言葉が彼女の本音だ。そうだと信じたい。
セルシアが彼女の本音に気付いてくれるのが一番良いのだが話を聞いた限りだとそれは無理だろう。…きっとセルシアは、自分が死ねばよかっ
たって自分に暗示を掛けている。…本気にし過ぎて自殺とかそんな馬鹿な事しなければ良いんだけど……。
彼女はやがてまた眠ってしまった。相当泣いたみたいだし、きっと昨日同様に疲れている筈だから寝かせて置いた方が良いだろう。
もう一度だけ優しく頭を撫で、ベッドを立ち上がる。
…――大丈夫。リネとセルシアは、自分達が仲直りさせてみせる。だってそれが仲間でしょう?
少しだけそう決意して、部屋を出た。それからレイン達の居る部屋に戻る。

「お帰り。とりあえず聞きたい事色々有るから座れ」
帰って来るがロアがそう言って部屋の中心にある椅子を指差した。…まるで拷問の始まりみたいだな。苦笑してその椅子に座る。近くのソファーで
マロンとアシュリーが居るだけまだマシだがこれって何か本当に拷問みたいじゃないか??

「とりあえず…リネはどうだった?」
ロアの問いにセルシアの顔が微かに俯く。…彼の気持ちも考えて言葉を選ばないとな。色々悩んで、言葉を投げた。

「セルシアには、悪いと思ってるみたい。…謝りたいって言ってた」
「もう許したって事?」
レインの問いにそれとなく頷く。けど話は此処で終わりじゃない。直も言葉を続ける。
「でもセルシアを前にすると素直になれないって、言ってた」
「……まあそれがリネっちだからねえ。しょうがないって言ったらしょうがないけど…」
苦笑を浮かべたレインが言葉を投げる。まあ確かにしょうがないって言ったらしょうがないよな。リネってずっとそういう性格だったし。
「じゃあ次の質問。BLACK SHINEの情報は何か掴んだのか?」
ロアの次の問いに正直驚いた。先にネメシスの石の事を聞かれるかと思ったのに……。
…まあ聞かれても言葉に困るから先にこっちの話で助かるけど。一息置いてから皆に向かって言葉を投げる。

「グローバルグレイスに行けば分かるらしいわよ」
「…グローバルグレイス?」
マロンとアシュリーがお互いに顔を見合わせ小首を傾げる。
…確かヘレンが言っていた。この中にグローバルグレイスを知る者が居るって。けど本当に居るのか?
ロアの方を見るが彼は不思議そうな顔を浮かべている。ロアも白。となると…。
レインとセルシアの方を見上げると、2人が顔を顰めている。――2人がヘレンの言う‘知る者’って事か…。レインが地理に詳しいのは元からだか
ら知ってるのは分かるけど…何でセルシアまでグローバルグレイスについて知ってるんだ??彼にとって何か思い出のある場所何だろうか。
「2人は何か知ってるの?」
とりあえずレインとセルシアに問い掛ける。先に声をあげたのはレインだった。
「此処からアイティの丘を越えた先にある今は廃墟の街だろ?知ってるぜ」
やっぱりレインは土地関連で知っていたのか。
…じゃあ、セルシアは??


「…セルシア?」

アシュリーが彼の名前を呼ぶ。
…セルシアの身体は、震えていた。俯いたまま何も言わずに唯肩を震わせている。
そんな彼に声を掛けようとして、意外にも隣に居たレインが声を上げる。
「そりゃあ、こいつが一番思い出したくない場所だろうよ。グローバルグレイスは」
「…あんた何か知ってんの?」
意外だ。セルシアを事情をレインが知ってるなんて思わなかった。
とりあえずレインが知ってる様な口ぶりなので彼に聞いてみる。…セルシアはきっと口を割ってくれないだろうから。
「セルシアがちゃんと話したじゃねえか。9年前、リトと自分の失態の所為で街一つ滅ぼしたって」
「……おい、それってまさか」
レインの隣に居たロアが声を荒げる。彼は一息吐いて、セルシアの代わりに言葉を続けた。


「9年前。リトとセルシア、そしてリネっちが住んでいた故郷。全ての‘はじまり’の場所が――グローバルグレイス。…そうだよな?」


「………」

…セルシアが、無言で頷いた。
――全ての‘はじまり’の場所…。…ヘレンの言葉の意味はそういう事だったのか。9年前彼等が起こした事件がはじまりだからこそ、ヘレンはあ
あ言ったのだろう。……あれ?でも何でヘレンがリトとセルシアの過去を知ってるんだ??


「何でレインがそれを知ってるんだよ……」

考える間も無く、セルシアが震える声で呟いた。…あ、確かにそれは疑問だ。
セルシアの口調からして、彼が話した訳でも無さそうだし……。…じゃあ何で彼はセルシアの故郷を知っていたんだ??
彼の問いにレインが溜息を吐いて答える。
「ばーか。お前、自分で9年前に住んでた街滅ぼしたって言ったじゃねえか。
その頃丁度滅んだ街の名前がグローバルグレイスだって俺が偶々覚えてただけだ」
……ああ、そういう事か。彼も彼なりに推理した訳だな。

「確かに其処に行けば何か分かりそうだな…」
「…全ての‘はじまり’の場所だからな。あそこは」
ロアの言葉にレインが呟く。
…にしても、何でレインはヘレンと似た様な…というか完全に同じ事ばかり言うんだ。時々コイツって意味分からない位冴えてるよな。
溜息を吐いたところで、改めてロアが顔を上げた。

「じゃあ、最後の質問。――なんでお前が黒のネメシスを持ってた??」

ああ、やっぱり来た。絶対に聞かれると思った。
何て答えよう。流石にこんな空気の中で‘BLACK SHINE幹部と友達だから’なんてギャグは通じないよな。
「…神殿に行った子が偶然見つけたみたいよ。あたしは知らないわ」
とりあえず正直に話してみた。勿論ロア達には訳が分からないという顔をされる。
「イヴが拾ったんじゃないの?」
マロンの問いに彼女の方を向いて頷いた。これは正真正銘本当だ。あたしが拾った訳じゃない。ヘレンから受け取ったんだ。
「……ノエル達が落としたのか…?」
ロアが小首を傾げながら呟く。やっぱり普通そうやって考えるわよね。あたしもそうやって考えたし。
「そういう事にしとこうぜ。何か俺考えるの疲れてきたー」
約一名。空気を読まない男レインが声を荒げる。本当に自己中というか何と言うか…。もうコイツのやる事には呆れがさして来た。
ところで自分も気になった事が一つ有る。セルシアはまだ俯いたままだけど…答えてくれるだろうか。

「ねえ、セルシア。あたしもあんたに質問あるんだけど言い?」
「………何…?」
暗い声をした彼が顔を上げる。瞳には微かに涙が溜まっていた。
…これ、今言っても良いのかな。セルシアの気分を害するだけな気がする。それでも言い出した以上は言わないと。

「…ノエルが神殿で言ってたわよね、‘あれはリト・アーテルムの屍だ。その辺の事はセルシアが気付いている筈’って」
「………」
「……知ってるのなら教えて。あれはどういう意味なの??」

自分の言葉にロア達もセルシアの方を見た。やっぱり皆これは気になっていた様だ。
9年前。リネの兄でもあり彼の最愛の親友でもあるリト・アーテルムは、死んだ。…なら、BLACK SHINEに居たあの‘リト’は誰だ??

「……ごめん。言えない。…俺の推理が確定した訳じゃないから」
「またそう言って逃げる気かよ。お前は」
珍しくレインが強気に出た。…彼はレインの言葉に対し静かに首を横に振る。
「…グローバルグレイスに行くなら、確認したい事が有るんだ。それを確認したら絶対に皆にその事は話すから。…今は、聞かないで欲しい」
彼はそう言って瞳を閉じる。レインが何か言いたげに口を動かしたがマロンとアシュリーが頷いたので言葉に出すのを止めた様だ。
ロアが遅れて彼の言葉に頷く。…まあ、グローバルグレイスに行ったら話してくれるって行ってるんだし、今はそれで良いでしょ。それに今その事実
を聞いたって一番聞かきゃいけない筈のリネが知らないままになってしまうし。これで良いんだ。だから皆よりワンテンポ遅れて自分も頷いた。
それを見たレインも渋々とだが了解の声を上げる。…まあ多数決したって彼が負けるのは目に見えてるしな。

とりあえず次の目的地は決まった。グローバルグレイス。全ての惨劇の‘はじまり’の場所。セルシアとリトの思い出の詰まった――きっと彼には
忘れる事も出来ない筈の廃墟の街。

目的地も決まった訳だし一旦部屋に戻り、リネにこの事を話さなくては。
皆にそれを伝えて部屋を出ると、慌てて追いかけてきたレインが腕を掴んできた。
「何よ」
「――イヴっちがさっき言ってた‘黒のネメシスを拾った子’って、もしかして灰緑の髪の女の子?」
レインの顔は何時にもまして真剣だ。そして彼の言葉は見事にヘレンの特徴を指している。

「……そうだけど。何で?」
何故レインがヘレンの事を知ってるんだ??彼女と接点が有るのだろうか??
「…や。何となく。ありがとな」
彼はそう言ってふらりと何処かに行ってしまった。
…あんただって肝心な所は話さないで何時もどっかに逃げるじゃない。
姿の見えなくなったレインに軽く悪態を吐きながら、リネの居る部屋に戻った―――。










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