只管来た道を走り続けているが、一向にセルシアの姿は見えない。…彼は一体何処まで戻って行ったんだろう。
未だセルシアにめぐり合えない事に不安と苛立ちを感じていると、突如遠くから爆音が聞こえた。
今の、絶対に魔術の音だ。――やっぱりセルシアの身に何か合ったんだ、間違いない。今の音を聞いて確信した。
確信を抱いたからこそ急がなくてはいけない。
「もうちょっとペース上げるわよ!!」
後ろに居る仲間に声を掛け、走るスピードを速めた。


*NO,74...垢の睡り*


―――光が止んだ頃に、足が縺れて地面に座り込んだ。
体を支える両手に強く力を込める。…生き、てる。
あの時。光の中級魔術―シャインドグロス―は確かに発動した。俺とリトの合間の至近距離で、最大限の威力を放った。
現に彼は地面にうつ伏せに倒れている。もう一度だけ地面を掴む様強く指先に力を込めた。
俺、死んでない…?
呆然と辺りを見回す。土壁が所々崩れたりしてる所からすれば俺が無意識の内に術に力を抜いたという事も考えられない。
……赦されたのだろうか。天高くに居るであろうリトの魂に、10年前のあの惨劇全て。
安堵から溜息を零した瞬間、猛烈な吐き気に襲われて地面に血溜りを吐いた。…やっぱり俺も無傷では無いなと苦笑する。
足を引き摺って倒れているリトの傍に寄った。肩を揺さぶると彼が少しだけ目を開く。
「…セルシア……」
「……」
名前を呼ばれ、刹那体が痙攣した。
でも掛ける言葉が分からない。俺は何て言えば良いんだろう。
大丈夫と言って手を差し伸べれば良い?それとも俺の勝ちだと言って笑えば良い?
――ううん、違う。それ以前にもっと言わなくちゃいけない言葉がある。
けれどその‘言葉’を声に出せない。何ていうんだろう…この気持ちはとても言葉に例えれない。
そう思っていると遠くから地面を駆け抜ける足音が聞こえた。…誰だろう。もしかしてノエル達か??
警戒したが闇の向こうから姿を現したのはイヴ達だった。俺を心配して来てくれたみたいで、俺とリトを見るが驚いた顔をする。
遅れて5人がやって来てから、彼女が何か言おうと口を開くが――その前に‘彼’が口を開く。

「…ありがとう……」
リトの言葉に俺が呆然となる。…今、何て??
思わず彼の瞳を見るとそれは穏やかな色をしていた。
…一緒だ。9年前、グローバルグレイスでの惨劇。…リトとの最期の会話の際、彼が見せた全てを俺に‘託す’目と、一緒。
微笑んだ唇からは赤の雫が零れ、地面へと滴り落ちる。…皮肉にも情景が重なった。9年前のあの惨劇と、今……。それはイヴ達が居る事を除け
ば全く同じ状況だった。
「……リ、ト…」
「…お前なら、俺を超えれると思ってた……。…やっぱりお前は…俺の…最高の、親友……」
途端、同じ様に彼が唇から液を零して地面には大量の赤が散乱する。まるで赤い絵の具を零した様に。
「兄さん……?」
後ろに居たリネがゆっくりと傍に寄ってきた。向かい側に腰を下ろした彼女の手を、リトが優しく握り返す。
「…ごめんな………リネ……」
「……兄さん、なの…?」
…何が起こっているのかよく分からなかった。
だって赤のネメシスの再生能力は‘肉体’を再生する事は出来ても‘魂’を再生する事は出来ない筈……。
でも今目の前で口を開いているのは、喋っているのは、確かに‘リト・アーテルム’だった。
親友である俺が間違える筈も無い。その瞳の色さえ9年経った今でもずっと覚えていた。だから―――。
「……リネ…。…セルシアの事は……怨まないでくれ…。…あの事件は…俺が、起こした事件……だから、俺が責任を…持つ必要が合った…。
‘それ’に…セルシアとお前が巻き込まれただけ…だ。……2人は、悪くない…。…ましてセルシアは……」
声が、途切れる。閉じかけた唇が、言葉を紡ぐ。
「……俺の…最初で、最期の…親友…。…だから、な……。…だから…絶対にセルシアを怨むなよ……」
怨むなら俺にしろ。リトはそう言葉を付け足してリネの手を強く握った。
彼女の瞳に雫が落ちる。涙の所為で声が枯れてしまったのか、彼女は精一杯頷いて彼の言葉を肯定した。
まだ状況が読み込めない。さっきまで闘っていたのは別人だった筈なのに、今此処に居るのは絶対に‘リト・アーテルム’だ。…どうして?
彼の瞳がリネから目を逸らす。その瞳は俺を見つめていた。知らぬ間に涙が落ちる。
もし目の前に居るのが本当にリトなら…俺は伝えなきゃいけない言葉が沢山有るんだ。
けれどどれも声に出来ない。何を如何話せばいいのか上手く整理できない……。
そんな俺の気持ちを見透かした様にリトは優しく笑った。優しく笑って、此方に何かを差し出してくる。
それを受け取って、呆然となった。それは赤の宝石が嵌め込まれたブローチ。…紛れも無く、赤のネメシス。
「結局…全部、お前に任せきりだ…。……ごめん、な…。セルシア……」
ブローチを受け取り、優しく手を握り締める。体温が感じられなかった。…同じだ。本当に全く同じ。
9年前のあの日と、今日という日がリンクする。靄の掛かっていた記憶でさえ、脳裏に映像の様に再生される。1つの思い出を思い出す度に涙が
溢れ出した。泣かないって決めたけど、こんなの泣くなって言う方が無理だ。
「…俺こそ…ごめん……」
「…ばーか……。…何で、お前が謝るんだよ…」
涙が、止まらない。声も姿も何もかもがリトと一緒だ。其れが故に涙が止まらなくなる。
もっと伝えたい事は沢山合ったのにこれ以上声には出来なかった。
「…お前も…もう俺の事で思いつめるのは…止めろよ……?…これからも、ずっと……見守ってる、からな……」
「…リ、トっ……!」
名前を呼び返す事しか出来ない。有難うさえも声に出来ない。溢れ出した涙は拭っても拭ってもまた溢れ出してくる。
「…出逢えて、幸せだった……。……ありが、とう……
……出来るなら、もう少しだけ…お前と、一緒の道を歩みたかった……」
――声を失った。涙を拭う事さえ忘れていた。
「兄さんっ…!?」
リネが激しく彼の肩を揺する。…分かってる、人の死を見るのは今が初めて事じゃない。だから分かる。リトはもう―――。
握り返してくれていた筈の彼の手からは何時の間にか力が抜けていて、俺だけが手を握り締めていた。
残された赤のネメシスが悲しく光沢を放つ。
――それは‘二度目’の彼の死。もう見たくないと思っていたあの日の記憶を塗り替える程の鮮明。

「……ぁああぁあっ!!!」

気付いたら叫んでいた。
そう。これは俺がやった事、俺が決めた事。…俺の決意から生まれた、新たな‘惨劇’……。
嗚咽を零して泣いた。体中の痛みさえも忘れて泣いて…、節々の痛みより心の傷の方が痛みを訴えていた。
大切な人を、俺は二度もこの手で殺した。それは全て俺の決意の所為…。
赤のネメシスに大粒の雫が落ちる。涙が止まらない。止める気さえしない。
けれど誰も何も言わなかった。唯目を伏せて――俺が泣き止むのを待ってくれていた。






「…魂の‘再生’……。…そんな事、有り得るのか…?」
――彼が悲しみの海に泣き続ける中で、レインがぽつりと呟く。彼の言葉に傍に居たイヴが小さく独り言の様に呟いた。
「……分からない。唯一つ言えるのは――…」

あれはやっぱりリネが追い求め、セルシアが心を許した男―――‘リト・アーテルム’本人だった。






恐らく赤のネメシスの効力は――‘魂’と‘肉体’の再生だ。
だからリトは最初からやっぱり‘リト’だった。
唯、リト生き返らせた人間――予想ではBLACK SHINEリーダーが、彼の‘魂’だけを封印した。
封印して、彼が思い出さないように仕向けた。
そうする事で彼はセルシアとリネの事も、10年前のあの日の記憶さえ失くしてしまい、彼等を唯‘敵’としか認識出来ない存在となっていた――。

けれど、セルシアとリネと何度も接触して。少しずつ封印されていた記憶が戻ってきて。
だからあの時―――cross*unionの近辺の森で会った時に、あたしに聞いてきた。
‘自分が失った記憶’を、取り戻す為に。

そして彼は皮肉にも、死に際に漸く封印されていた記憶を取り戻した。
だから今になって、2人の事を思い出した…。
悪魔であたしの仮説だから答えは分からない。けれど、多分、きっとそうだ…。




暫くはセルシアが泣き止むのを待っていたんだけれど、彼は一向に泣き止む気配が無い。
何時もなら無き止むまでずっと待っていれば良いんだけれど…今回ばかりはそういう訳にも行かないのだ。

アシュリーやレインの聞いていた‘崩れるような音’…。
アレは土砂崩れ何かじゃない。グレミス水が正常な水に戻り始める‘合図’の音だったのだ。
下水道を走り続ける中、マロンにグレミス水の色が変わってきていると言われてそれに気付いた。
今となっては下水道の水は完全に正常な水に戻っている。この水は今から一週間は正常な水のままだ。
――そう。だからクライステリア・ミツルギ神殿の地下にあるグレミス水も…きっと浄化されて正常な水に戻っている。
だからこそ行かなくてはいけない。ノエル達は既に先に神殿に向かっているのだ。だからこんな場所でじっとしている暇が無い。
此処で長い時間を取りすぎると、緑のネメシスをノエル達に奪われてしまう。
残りのネメシスは緑のネメシスと白のネメシスの2つだけなのだ。他3つは全てあたし達の手にある。
だからこそ急がなくちゃいけない。向こうの思い通りになんかさせてたまるか。夢喰いの封印を解かれる前に、あたし達がもう一度ネメシスの石に
封印を掛ける。だからこそ―――セルシアには速い所立ち直って貰わないと。
辛い気持ちなのは分かる。大切な人が目の前で何回も死んでいるんだ。きっとセルシアの心だって限界だ。
けれどそれを乗り越えて欲しい。…セルシアならきっと乗り越えれるって信じてる。


「…セルシア」
静寂の中、名前を呼ぶと彼が少しだけ顔を上げた。
顔が真赤に染まっている。色々考えている間も泣き続けていたのだろう。その瞳が止まる気配は未だ無い。

「……酷い事を言うようだけど、時間が無いの。緑のネメシスを回収しに行かないといけない。
リトが死んだからって終わりじゃない。あたし達にはまだ先が有るの。
――ねえ、お願い。立って。神殿に向かわないと」

「……」

無言。彼は言葉を返す事も無ければその場を立ち上がる気配も無い。
あたしが言っても駄目なのか?リネが言えば聞き分け良くなるだろうか。そう思い彼女の肩を叩こうとした所で――再び俯いたセルシアが声を絞り
出した。








「……もう、無理…」




掠れた声で紡がれた‘それ’は全てを‘否定’する言葉。
「…セル、シア……」
前に居るリネが彼を呼んだ。それでも尚セルシアは言葉を続ける。
「…もう無理だよ……。…俺の所為で、リトは死んだ…。…リーダーも死んだ…。……全部…俺の、所為…でっ……!!」
彼はそれきりまた泣き出してしまった。
きっと色々な気持ちが混ざり合って、最終的に‘これ以上は辛い’という結果になってしまったのだろう。
無理も無い。この短期間に色々な事が有りすぎた。
VONOS DISEリーダーの死。リネとの喧嘩。そして二度目となるリトの死…。
それは全て、彼にとっては重過ぎる記憶だ。こんな不幸が立て続けに起きたらあたしだって挫折したくなるかもしれない。
けれどこのままセルシアが立ち直るのを待つ暇がもうあたし達には無いんだ。早く神殿に戻らないといけない。だから―――、



「…あたし達はクライステリア・ミツルギ神殿に行く。緑のネメシスをノエル達より先に回収する為に」
「………」
「さっきも言った筈よ。リトが死んだからって全部終わる訳じゃない、あたし達にはその先が有る」
無音。自分の声だけが下水道の奥まで浸透している。セルシアも他の皆も黙ってあたしの言葉を聞いていた。
「――セルシアが本当にもう無理だと思うなら、此処でお別れよ。あたし達にはセルシアを無理に旅に連れて行く資格なんて無いからね。
……けれどもし、まだあたし達に着いて来る気が有るのなら、後から追いかけてきて。
…無理にとは言わない。来たく無いなら来なくても良い」
その言葉にロア達が驚いた様な顔をした。
けれどこれが最善の案だと分かっているのか、口を挟んでくる気配は無い。

「…セルシアと此処でお別れにならない事を、祈ってるわ」

最後にそれだけを言って、踵を帰して歩き出した。
一瞬5人が躊躇った顔をしてそれぞれの表情を伺うが、最終的にはイヴを追いかけ歩き出す。

「…あたし、待ってるからね。セルシアが帰ってきてくれるの」

ロア達が先に歩き出す中で、リネが最後に俯くセルシアに声を掛けた。優しく彼の手を握ってから、先頭のイヴを追い掛け走り出す。
暫くは響いていた足音も、やがて聞こえなくなった。恐らく下水道の外へ出たのだろう。
リトの亡骸を見、また涙が零れる。


「……そんなの…俺だって分かってる……!!…でも……」


独りきりの暗闇の中、声を荒げてまた涙を零した―――。










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