三階は空き部屋が多いらしく、三階の空き部屋に泊まらせて貰う事になった。
それぞれ部屋へと別れる前に、身を乗り出したリネがレインと何かを話しているのが目に入る。
…時々レインが険しい顔をしてるけど、あの2人は何を話してるんだ?
少し気になったので2人の傍に寄って見た。


*NO,108...術式解呪烙印*


「…止めとけって。確かに俺も一時的な物ならやってやる事が出来るけど、‘アレ’はお前が受けるには余りにも早い」
「嫌よ。あたしには力が必要なの。絶対に引かないから」
…何やら嫌悪漂うムードだが、この2人は本気で何を話してるんだ?

「何してんのよ、あんた達」
合間に入って問い掛けると、眉間に皺を寄せたままのレインがそっぽを向いたリネを見ながら言った。
「俺が詠唱無しで術を使えるのは気付いてたか?」
「…まあ、気付いてはいたわよ」
レインと戦った時、こいつは御構い無しにどんどん術を放ってきたからな。今でも印象に残ってる。
どのタイミングで詠唱無しで術を使える理由を聞こうか迷ってたけど、自分から言い出してくれてちょっと助かった。
「あれにはちゃんとした訳が有るんだ。前にリネにだけは聞かれたから答えたんだが――」
「‘術式解呪烙印’。…そういう‘刻印’を背中に入れてるから、らしいの。あたしもこの前見せてもらった」
先程までそっぽを向いていたリネが急に口を挟む。
…術式解呪烙印…、か。聞いたことの無い物だけど、言葉からして効力は何となく理解できた。
レインはその刻印を刻んだから詠唱無しで術が使える訳か。

…その事と、リネとレインが嫌悪ムードだった事と何が関係有るんだ?
もうちょっと深く追求しようとした所でレインが結論を述べてくれた。

「リネがそれを受けたいって言うんだよ」
「…別に受けさせて上げれば良いじゃない。戦力になるのは確かだし、デメリットなんて何も――」



「……本当にデメリットが何も無いと思うか?」


…それは酷く落ち着いた声だった。
レインのその言葉に思わず息を呑んでしまう。旨い話には裏が有るって事か…。

「…何か良くない事が起きるのね?」
「少なくとも一週間はまともに歩けねえな。痛くて飯も食えたもんじゃねえ」

…そういう事、か。
確かにタダでそんな力が手に入る訳も無い。莫大な力と引き換えになる痛みは――当然莫大な物に違いない。

「俺でもそんな状態だったんだ。そんな物リネが受けたら――どうなるかぐらい分かるだろ?」
「…あんたがその刻印受けたのは、何時?」
「……7年前だな」

7年前…て事はレインが26歳の頃、か。
26歳だったレインで一週間も歩けずご飯もまともに食べれない状態だったのに。
そんな物まだ15歳でしかもレインと違って女性であるリネが受けたら―――……。

つまりレインはそれを心配してるんだ。確かにあたしも話を聞いて不安になってきた。
そんな物リネが受けたら、それこそきっと激痛なんて言葉じゃ済まされないだろう。最悪命を落とす事だって…否定出来ない。

「だから無理だって言ってんだ。いい加減諦めろ。そんな物無くたってお前は十分強いだろ」
「絶対に嫌。こんな力じゃ足りないの。詠唱無しで術を使えるその力――あたしは何が何でも欲しい」

…話を聞いてもリネは引く気が無いらしい。リネって一度言った事は絶対に引かないタイプだからな……。
さて、どうやってこの子を説得しようか。
レインの今の話を聞いてあたしもさっきの意見を撤回した。そんな危ない物今のリネに受けさせる訳には行かない。
あたし達の言い合いに気付いたのか歩き出そうとしていたセルシア達も傍に寄って来る。
「何してるんだよ」
先程のあたしと同じ様な言葉をロアが問った。
レインとリネに今聞いた事を4人に丁重に説明する。…リネは相変わらず膨れ面だった。

「…そんな物受けてどうするんだよ。リネは今のままで十分じゃないか」
4人に説明を終えた所で、セルシアが改めて声を掛けた。
リネが少しだけ瞳を揺らがせるが、直ぐに唇を噛み締め首を横に振る。
「今のままじゃ嫌なの。もっと強くなりたい。こんな力じゃ絶対に足りない……」
「……リネ」
…彼女の決意が生半可な物じゃ無い事は分かった。セルシアに言われてそれでも決意を歪めないって事は、リネは本当の本当に本気だ。
俯いたままの彼女を見ていると、不意にリネが顔を上げた。
その瞳は何処か決意の篭った様な色をしている。

「どうしても駄目って言うなら、」
此方を見上げたままのリネが、言葉を続けた。

「あたしが自分でやる」


「…は?」

レインが顔を引きつらせた。釣られて此方も顔を引きつらせる。…リネの奴、今何て言った?

「レインがやってくれないって言うなら、あたしが自分で刻印を刻む」
「何てこと言い出すんだよお前は……」

「分かったでしょ。あたしだって半端な気持ちで頼んでる訳じゃないの」

彼女は一息置いて、尚も言葉を続けた。



「レイン。あたしに術式解呪烙印を打って」


…沈黙。
誰も何も答えれない。リネの瞳は至って真面目だ。
会った当時から何度も感じてたけれど、彼女はこういう時に絶対冗談や嘘を言ったりしない。
だからリネが今言った事は全て本当だ。レインがもし術式解呪烙印を打たなかったら、リネは本当に自分で刻印を刻むのだろう。
もうどの道リネの意思を曲げる事は出来ない訳だ。

「…」

眉を引きつらせて居たレインがやがて大きく溜め息を吐いた。
それから踵を返し、ロアに開いている部屋を聞き出してからその部屋に向かって歩き出す。

「来いよ。部屋でやってやる」

レインはそれだけ言い残して近くの階段を上に上がって行ってしまった。
…どうやら彼も妥協したみたいだ。自分がイエスと答えてもノーと答えてもどの道リネは刻印を打つ気なのだと悟ったのだろう。

「…有難う」

ぽつりと呟いたリネがレインの後を追い掛け走って行った。――彼女の姿が階段に消えてから、思わず此方まで溜め息を吐いてしまう。
「私たちも部屋に戻る?」
「…そうね」
やる事も得に無いし、レインとリネも多分2人きりの方が刻印を刻みやすいだろう。
気にならないと言えば嘘になるが今は2人の事はそっとしておいた方が良いと思う。また時間を置いてから覗きに言ってみようとは思うけど。
ロアに残りの開いている部屋を聞いて、階段を上がった。どうやら3階の部屋は全部空き部屋みたいだ。レインとリネが入って行った部屋にさえ入
らなければ後は何処も開いているって事になる。
残った4人と一緒に階段を上がり、扉の閉まっていない部屋に足を踏み入れた。



* * *


「要らない刃物無いか?短刀でもナイフでも良い」
「…これで良ければ」
腿に隠しているホルターからナイフを抜いて、レインの手に預けた。
それを受け取ったレインがナイフに針金で器用に何かに文字を書いて行く。…読めない言葉なので何て書いているかはよく分からなかった。
術式解呪烙印。
話を聞いたのはBLACK SHINE本部でヘレンに会う前だ。周りをうろついてる間に少しだけ話を聞いた。
刻印を見せてもらったのはSAINT ARTS本部。グランドパレーに行くちょっと前に無理を言って見せてもらった。
五芒陣の上に描かれた大きな十字架の左右に描かれた2つの翼――。その周りを囲う用に術語が描かれていた。
あれを見て最初に思ったのは感動だ。
描かれた術語も論理的に間違ってない。確かにあの刻印を刻めば、詠唱を無くして術を使う事が出来る。
この刻印を考え出した人間は途方も無い天才だろう。

「…あの刻印は、誰が考えたものなの?」

レインがナイフに紋章を刻んでいる間、暇なので傍に合ったベッドに腰掛け、問い掛けた。
ナイフに細かい術語を彫りながら、レインが答える。

「……ヘレンだ」

「…そう」

成る程…。それでこんなに完璧な論理なのに誰も知らない訳だ。
せいぜい知っててもBLACK SHINE内部で最も位の高い――幹部の人間だろう。

「ヘレンがこの論理を組み上げたのは8年前。俺を実験台にして成功させたのが7年前。
…それ以来は誰にもこの刻印を刻んでなかったみたいだけどな」

「つまりあたしで2人目?」

「そういう事だ」

…皮肉な物だ。世界中で詠唱を無くして使える天才的魔術師はあたしとレインだけ。
けれどその技術はBLACK SHINEリーダーが考え出した物。

暫く沈黙していると、やがてレインがナイフを持って傍によってきた。ナイフに刻まれた紋章が少しだけ青白く光っている。

「…それは?」

「これで刻印を刻む。そうしないと、上手く刻印に力が宿らねえからな」

…唯単に背中に刻印を刻むだけじゃ駄目なんだ。
普通にタトゥーみたいな間隔で彫られるのかと思ったけれど予想と違って驚愕した。

「言っとくけど、刻印の完全体はヘレンじゃないと無理だ。俺が今からお前に施す刻印は悪魔でも‘一時的’なモノ。
詠唱無しで術が使える様になる事は保障するが、何時刻印の効果が切れるかは分からない。…良いな?」

「…その位は覚悟してた」

完全体が考え出した本人じゃないと彫れないのは当たり前だろう。
あたしが今から受けるソレは、レインの受けたモノとは多少違う造りになるのだ。
‘一時的’がどの位なのかは分からないけれど、せめて夢喰いと対峙する時ぐらいまでは持ちます様に。


「じゃあ、」

何故かベッドを立ち上がったレインが、後ろを振り向く。
疑問に思って声を投げようとして――レインの方がとんでもない事を言った。





「服、脱げ」


「――はあっ?!」




即座に思ったのはコイツは何を言い出すんだという事だが、直ぐに返された返答にやっと納得した。

「刻印は背中に彫るんだ。服着たままじゃ彫れねえだろ。――別にお前の裸になんて興味ねえよ」
「…最後の言葉、安心した反面何か凄くムカつくんだけど」

歯軋りしつつも、仕方なく上服を脱ぐ。その辺の事は全然考えて無かった。でもよく考えたらそうだよな。
刻印は背中に打つんだから、上半身はどうしても脱がないと駄目だろう。抵抗が無いって訳じゃないけど…仕方無いって言ったら仕方無い。
一度自分の頬を叩いて、上半身だけ服を脱いだ。
…途中何度もレインの方を振り返るが、本気で何とも思ってないのか何なのかこっちには無関心だ。嬉しい様なムカつく様な……。

「…脱いだ」

「じゃあうつ伏せにベッドに寝てくれ。その方が彫り易い」

「…前隠して良い?」

「背中が見える程度にな」

脱いだ服をベッドの横に畳んで、ベッドにうつ伏せに寝転がる。
敷いて合ったシーツで胸辺りをなるべく隠した。邪魔にならない程度ってどの位よ…。

「もう振り返って良いか?」

「あ、ちょ。待った!!」

別に刻印を打つ事に恐怖は無いけど裸を見られる事には抵抗が有る。と言っても全裸じゃないし、そこまで抵抗を感じる事じゃないんだけど…。

「…先に言うけど俺はロリコンじゃないからな?」

「ああもう!煩いってば!!」

そんなの言われなくても分かってるし、寧ろロリコンですとか言われたって困る。
枕に顔を埋めて沈黙していると――何時の間にかレインが横に居た。

「っ―――!!!」

「良い加減始めるぞ。余り時間が経つとナイフの紋章の効力が弱くなってくからな」

そう言ったレインが青白く光るナイフを背中の上に持ってくる。

…痛い、よね。やっぱり。
顔を埋めていた枕を強く握り締めた。怖くないと言えば嘘になる。覚悟はしていたけれどやっぱり怖い。


「…最後の警告だ。止めるなら今だぞ?」

「……止めない」

でも止めたいとは思わない。絶対に刻印は受ける。その力がどうしても欲しいから。
詠唱を無くして術を使う代価に痛みを伴うのは仕方の無い事なのだ。デメリットが何もなくそんな大きな力が手に入るなんて思ってない。
――そう、これは人魚姫。彼女が愛する事と引き換えに痛みを知ったのと同じ事。


「…動くなよ」

レインがそう呟いたと同時。――背中に熱が走る。
ナイフを沈められた部分に電撃が走った。切られた場所は抉られ様な痛みを発する。少ししかナイフは沈められていないのに、心臓の辺りまでナイ
フを突き刺された気がした。

「あぁああっ!!!」

叫ばずには、要られない。
体を痙攣させるだけで刻印が更なる激痛を強いる。まだ一太刀しか入れられていないのに、それは涙が出る程の痛みだった。

「動くな。刻印がずれる」

「や、だ…待っ………!!!」

肩を押さえつけられ、無常にも二太刀目のナイフが振り下ろされる。
激痛を超えた痛みは何と表現すれば良いのだろう。息をする度に肺が痛い。背中が高温で焼かれた様な熱を帯びて痛みを発していた。

「いっ…!!」

叫ぶ気力さえも残らない。叫んだ分だけ背中が痛むのを知ってるから、声を堪えて震えるしかない。
頭が真っ白になった。何も考えれない。考えれるのは痛みだけ。痛い、痛い、痛い。

「っ…ぅ……!!」

後どれだけ続くのだろう。何度もナイフが刺し抜かれ、その度に体が痙攣する。零れた涙が止まらなかった。
嫌だ、待って。痛いの。死にそうなの。これ以上続けられたら――。

「いやぁああぁっ!!!」

何度目か分からない痛みに、反射的に体を丸めてしまう。

「馬鹿…!動くと余計痛いぞ!」

「あぁああぁ!!!」

…レインの言った通りだった。動いた分だけ、痛みが着いて来る。終わらない。痛みが、収まらない。
何処を動かしても背中の痛みと連携して、更に体が痛むだけだ。体全体が圧迫されている様な不思議な感覚に襲われた。

「嫌だ!止めて!!止めてぇえっ!!」

吐き気がしてきた。体と同じで言葉も反射的に拒絶の言葉を繰り返す。


「――望んだのは、お前だ」

一瞬だけ目を伏せたレインが、再びナイフを振り下ろした。
叫び過ぎた喉が痛む。喉の奥からは吐き気が襲ってくる。軽く咳き込んだだけで、激痛が肉体を支配する。
どれだけ続くのだろう。この痛みは、何時止むのだろう。
上手く呼吸が出来ない。その度に咳き込んで、また痛みに襲われて、息が出来なくなって――。

「…もう少しだから、頑張れ」

震える片手を握った…と言うより押さえつけたレインが、そうしてまたナイフを振り下ろす。
もう少しって、どれくらい?後どれだけこの痛みを受け入れたら終わるの?
涙で視界が滲む。心音が早い。…体が、痛い。
上手く息が出来ない度に咳を繰り返す。でも楽にはなれない。寧ろもっと息詰る。
喉奥で留まっていた物が逆流してくる感覚に襲われた。
胃に溜まって居た物を吐き出して、何度も咽る様に咳をする。吐き気が止まらない。頭が痛い。
辛いよ…もうホントに死んじゃいそう……。

「…やっぱりキツイか…。刻印を彫る数は、俺の時より大分減らしてはいるんだけど」

呟くように言ったレインが、優しく頭を撫でてくれる。嘔吐した事を気遣ってくれているみたいだった。


…レインの忠告、嘘じゃなかった。
受けなければ良かったかもしれないけど、やっぱり止めておけば良かったとは思わないの。
何度も拒絶の言葉を吐いたけれど、それでも。思わない。

これがあたしの決めた道だから。










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