――少し寝ようと思ったんだけど、どうにも眠れないというか何と言うか…。
リネとレインの事が気がかりだ。もう刻印は出来上がったのだろうか。リネは平気なのか…?
…少しだけ、様子を見に行く位なら良いだろうか。
寝転がっていたベッドを起き上がり、部屋を飛び出した。レインとリネが居る部屋は、多分階段を上がって直ぐ傍に合った部屋。
長い廊下を歩き、やがて部屋の前にたどり着くと―――。

「…セルシア」
「……イヴ」
どうやら同じ事を考えたらしい。セルシアが扉の前で立っていた。


*NO,109...刻印*


「…リネとレインは?」
セルシアに問い掛けたと同時――部屋の中からリネの物と思われる痛ましい悲鳴が聞こえてきた。いきなりの出来事だったので体が痙攣する。
「…さっきからずっと聞こえてるんだ。多分今、刻印を彫ってるんだと思う」
……さっきからずっと…。って、セルシアは何時から此処に居たのよ。ちょっと苦い顔をして扉を見つめる。
中の様子は分からない。一つだけ確信を持って言える事と言えば今まさにレインがリネに刻印を彫っているという事ぐらいだろうか。
やがて悲鳴さえも聞こえてこなくなった。声を上げる事にも疲れてしまったのだろうか。中からはレインの宥めの声が聞こえる。
…心配だ。刻印は成功しているのだろうか。やっぱり無理してでもリネを止めるべきだったのか…?
セルシアと顔を見合わせた、その時。

「嫌だ!!止めて――!!止めてぇえっ!!!」

――確かに、リネの声だった。
どうやら相当痛がってるらしい。聞いた事無い位の痛ましい悲鳴だった。
セルシアがドアノブに手を掛ける。…けれど手を掛けたまま硬直してしまった。部屋に入って良いのか悩んでいるのだろう。
正直今部屋に入っても邪魔になるだけだ。そんな事あたしもセルシアも分かってる。
分かってるけど、リネの事が心配で仕方ない。
それに今聞こえた悲鳴――…。リネはもう限界なのかもしれない。
せめて、傍に居る事だけは出来ないだろうか。一度始めてしまった刻印は多分最後まで彫らないといけないだろうけれど、せめて傍で励ましてあ
げる事ぐらいは――。

「…セルシア」

中から声は聞こえない。どうしたのだろう。まさかリネの身に何か合った――?
一瞬だけ険しい顔をしたセルシアが、ゆっくりとドアノブを回す。そして扉を、開いた。



「…イヴ、とセルシアか」
真っ先に目に入ったのは紋章の刻まれたナイフを持つレインと、シーツに包まって何度も咳き込んでいるリネの姿だった。
彼女の背中には刻印が半分ほど刻まれている。
…これだけ痛ましい悲鳴が聞こえたのに、まだ半分……。リネは後どれだけ痛みを耐えるのだろう。

「…リネは?」
「嘔吐しちまったから、ちょっと休憩挟んでる。無理に続けてリネの体に影響が合ったら困るからな」

セルシアがリネの傍に駆け寄った。リネは薄目を開けて起きては居る物の、顔色が大分悪い。呼吸の仕方が荒かった。
「…セル、シア……?」
「…大丈夫?リネ」
セルシアが震えるリネの手を握った。…本当に顔色が悪い。寒いのか体を震わせていた。

「来てくれたなら丁度良い。肩貸してやれ。肩噛んでれば少しは痛くなくなるだろ」
セルシアと目を合わせて、どっちが肩を貸すか相談した。
と言っても、もう答えは決まってる。リネとしてもあたしよりセルシアの方が良いだろう。リネが今上半身裸な事考えるとあたしの方が良いけれど。
もうそんな事を気にしてる余力も残ってないのか、リネは完璧無心だ。何度も荒い呼吸を繰り返し、時々咳き込んで悲鳴を上げる。
…背中に振動が伝わると痛いのだろう。
ベッドに腰掛けたセルシアが、成るべく背中に振動を伝え無い様にリネの体を起こした。それから彼女の顔を肩まで持ってくる。
「レインが言った通りだと思う。肩噛んでた方が多分痛くなくなるから、そうしてろ」
「……」
微かに首を縦に振ったリネが、セルシアの肩口に噛み付いた。体が震えている。…痛いのだろう。
「…大丈夫か?始めるぞ」
青白く光るナイフを持ち直したレインが、静かにナイフをリネの背中に沈めた。
途端、彼女の体が大きく痙攣する。セルシアが少しだけ顰め面をした。強い力で噛み付かれているのだろう。それだけリネも痛いって事だ。声を出
さずにリネが泣き出してしまった。
する事の無いあたしとしては、リネとレインを見守る事しか出来ない。大人しく傍に立って刻まれる刻印をリネの2人を見守った。
…あんまりナイフの刃先を入れてないから、痛くなさそうに見えるけど…リネとしては張り裂けそうな程痛いんだろうな。
レインの方もかなり真剣な瞳だ。リネがよく肩を震わせて左右に動くから、刻印がずれない様慎重に彫ってるんだと思う。
まさかこれほど痛がるとは思わなかった。多分リネも一緒だと思う。こんなに痛いなんて、と思ってるんじゃないだろうか。
とは言えこれはリネが望んだ事。そう、彼女が決めた事だからこそ誰も「もう止めよう」なんて言わないんだ。

「後どれ位?」
一度ナイフを下ろしたレインにセルシアが問い掛ける。
ナイフを握り直したレインが、刃を背中に沈める前に答えた。
「後四分の一」
「っ―――!!」
ナイフの刃が背中に当たると同時に、リネが声に成らない悲鳴を上げる。
そして一度肩口から唇を離すと大きく咳き込んだ。咳をするだけでも痛いのか、彼女が大粒の涙を零す。
頭を優しく撫でてやる事ぐらいが限度だった。これ以上やってあげれる事が無い。

「…後8回だ。頑張れるか?」
「……」
レインの言葉にリネが少しだけ頷き、再びセルシアの肩に噛み付く。
8回。その8回がリネにはきっと酷な物に違いない。黙ってそれを見届けるしかなかった。
刻印の方に目を落とす。確かに何時の間にか刻印は完成へ近づいていた。
五芒星の上に描かれた、大きな十字架。そしてその周りを囲う羽と何らかの文字…。既に形自体は出来上がっていた。
後は微調整を加えていくのだろう。なるべく早く終わりますように。祈るように2人を見守る。

「い――っ!!!」

途中でリネが体を痙攣させた。止め処なく溢れて来る涙の所為で、瞳が真っ赤に腫れ上がっている。
「後何回?」
ナイフを下ろしたレインに問い掛けた。正直今のリネは見てるだけで痛々しい。早く終わってあげて。

「…後、5回だな」

大分ナイフを動かしてる様に見えたけど、まだ5回も残ってるのか…。
彼女は大分汗を掻いていた。体の震えが時々大きくなる。

そうして再びナイフの刺し抜きが始まり――その度にリネが体を強張らせる。
何度リネが声にならない悲鳴を上げたのだろう。ずっと見守っていると―――やがてレインがナイフを完全に下ろした。


「終わった?」

「――終わった。多分、これで完成だ」

セルシアの問いにレインが答え、紋章の刻まれたナイフを布に包んで机に置いた。
リネも又ほっとした顔を見せるが、まだ背中が痛むのか涙を流し続けている。

「今日はもう休んだ方が良い。刻印を彫った場所に成るべく何も当てるなよ」
レインがベッドから立ち上がり、ナイフを持ったまま踵を返した。
…今日はもう、リネを寝かせるべきだろう。それはあたしもセルシアも分かってる。
刻印を彫った場所に触れると痛いのは当然だから、今日はこのまま寝てもらうしかないか…。

「良いか?リネ。本当に痛いのは此処からだ。
今お前の体には膨大な術力エネルギーが駆け巡ってる。体がその術力エネルギーに抗体を作るまで、痛みは続く」

「…その術力エネルギーが、詠唱を省く為の力なのね?」

「そうだ。――その力を抑制出来たら、証として刻印の色が黒に染まる筈だ。それでやっと完成」

…痛いのは此処から、か。確かにそうかもしれない。
術力エネルギーとやらに抗体を作るのは、恐らく多くの時間が掛かるだろう。
それまでずっと刻印が痛んだままと言うのなら、長い時間この痛みに苦しむことになる。


「……これはお前が望んだ事だからな?」

レインはそう言い残して部屋を出て行ってしまった。
…途端、リネがセルシアの体からずり落ちていく。ずっと痛いのを我慢していのに、この後も痛みが続くんだもんな…。
リネの頭を撫でて、シーツがずれない様そっとベッドに寝かせた。
刻印に何も触れないように、って事はまだ服も着れそうにないな…。
傍に畳んであった服を枕の横に置いて、刻印に当たらないようそっとシーツを掛ける。

「…リネ、大丈夫?水か何か持って来ようか」
問い掛けたがリネが微かに首を横に振った。レインでも一週間何も食べら無かったんだし、数時間は水を飲むのも無理か…。
リネの優しく頭を撫でたセルシアが、彼女に声を投げる。
「寝て良いよ。疲れたでしょ?」
「……」
声も無く頷いたリネが腫れた目蓋を静かに下ろした。
…眠ってしまったのだろうか。分からないけれど、そっとしておくべきだろう。無理に話しかけてもリネが余計に疲れるだけだ。
セルシアと同じく、軽く頭を撫でてからその場を立ち上がった。
「俺は此処に居るよ。リネが心配だから」
「…そうね。じゃあリネの事、宜しく」
一人はリネの傍に居るべきだろう。セルシアにリネの事を任せ、部屋を出た。
――部屋を出たと同時、階段の目の前のバルコニーに人影が見える。
タイミングからして今そこにいるのはきっと――……。

そっとバルコニーの扉を開ける。
外の景色を眺めているのは、予想通りレインだった。

「…イヴか」
「誰だと思った?」
「――考えてねえよ、そんな事」
レインの言葉に苦笑して隣に寄る。…外だから当たり前だけれど寒かった。まだ雪は降り続いている。
不意にレインの手の平を見ると、赤く腫れあがっていた。
視線に気づいたのか赤く腫れた手を振り上げながらレインが淡々と答える。
「紋章を彫ったナイフってのは持つだけでも強大な力だからな。この位仕方ねえ」
「…痛くないの?」
「痛くないっつったら嘘になるな」
…時々ナイフを握り直してたのは、それが原因何だ。
リネの事しか気遣ってなかったけど、レインも十分痛みを我慢していたんだ。何か申し訳ない気分になった。
「腫れは何時引くの?」
「ほっときゃ直るだろ。別に気にしなくていいぜ」
…気にするなと言われても、普通に気になる。腫れ方が明らかに酷いし…。
「マロンに見て貰った方が良いんじゃ?」
「これは術エネルギーの影響でこうなったんだ。術を受けたら逆に痛くなるっつーの」
…あ。そっか……。
納得して、肩を落とす。じゃあやっぱり、レインもリネと同じで痛みが治まるのを待つしかないのか…。

「…ありがとう」
「…何が」
「痛いの我慢して、リネに刻印彫ってくれたこと」
レインがリネに刻印を彫るのが嫌だったのは、これも理由に含まれてると思う。
それでもレインはそんな事一言も言わずに、リネに刻印を彫ってくれた。
正直あたしも此処でレインに会わなかったらレインまで怪我してるなんて思いもしなかっただろう。

「…別に」
素っ気無く答えたレインが、踵を返す。
「寒いしそろそろ戻ろうぜ」
「…そうね」
腫れていない方の手で扉を開けたレインが、さっさとバルコニーを出て行ってしまった。
照れてたのだろうか。少し可笑しくなってくすりと笑う。それからレインの後を追ってバルコニーを出た。










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