レインから10年前の話を聞いて、あたしも自分なりに色々考えた。 9年前。グローバルグレイスが滅ぶ原因となったウルフドール族の奇襲…。アレはもしかしたらヘレンが仕掛けた物だったんじゃないだろうか。 現にウルフドールの王であるアシュリーはソレを知らなかった。つまり彼等‘王族’の知らない所で事が行われたという事だ。 でもそれなら、何でヘレンはグローバルグレイスを滅ぼす必要が合った? 意図的にだとは思うが…何故グローバルグレイスを選んだのだろう。 彼女も又、ネメシスの石を持ち去ったままにしたリトとセルシアを憎んでいたから? でもそれなら、どうしてリトを生き返らせる必要が合ったのだろう。――彼女はリトの亡骸に赤のネメシスを与え、意図的に部下にした筈だ。 いや…もしかしてリトを生き返したのはセルシアへの復讐の為? そんな事を考えてる内に時間は過ぎる。気付いたら1週間近くは過ぎていた。リネの様子も時々見に行ったが痛みは相変わらずの様だ。 セルシアもずっと起きていた所為で疲れたのか、今はアシュリーが面倒を見ていたと思う。 ――明日が一応ライカとの約束の日。 ‘塔の開く日’だけど…あの調子でリネは大丈夫なんだろうか。 少し様子を見に行こうと思い部屋を出た所で――誰かに呼び止められた。 *NO,112...桃源郷* 「――あんまり此処に居ると風邪引くぞ?」 「私が風邪引いたら、レインも風邪引くよ」 隣に居る彼女の受け答えられた言葉に苦笑して返す。 それから、此処1週間ずっと降り続けている雪を目を凝らして見つめた。 落ちて往く雪は地面に零れ、そうしてまた地面に厚みを作っていく。 ――あとどれだけ雪が降るのだろう。ウィンドブレスに来て10日前後だが、ずっと雪を見ている。 「…ホントに風邪引くよ?」 戻らないの?と続ける彼女に、目を伏せて答えた。 「まだ、良い」 ――ふとした瞬間に、今でも思い出す。脳裏に限りなくこびり付いた‘あの日’の事は、きっとこれからも忘れないのだろう。 誰かが言っていた。体の傷は癒えても、心の傷は癒える事が無いと。 案外そうなのかもしれない。現に俺は今もこうして、女々しく10年前のあの日の事を覚えている。 救えなかった命はどれだけ在るのだろう。 俺もノエルも目先の事に囚われ過ぎて、結局誰も救えなかった。 冷静に判断出来てさえ居れば、俺は回復術を使えたのだから生きている人を治療する事だって出来た。そうすればもっと沢山の人が助かったかも 知れないのに―――結局俺もセルシアと一緒。他人を見殺しにした。‘殺人’と変わらないのだ。 セルシアを責めて何かが変わる訳じゃない事だって、最初から気付いていた。 けれどやり場の無い怒りの矛先は、セルシアしか見つからなくて。 結局俺はまた自分の事ばかり考えて、そうしてセルシアだけを責めた。俺にも非が合ったのに、それでも責めるしか無かった。 「……」 無言で立ち去ろうとする彼女を、思わず引き止める。 手を掴んで、力付くで引き寄せた。 「――もう少し、此処に居てくれないか」 ……今はこのぬくもりでさえ、見失いそうで。怖い。 「…」 彼女が無言で頷く。手に入れようと回した腕を優しく包まれ、安堵を感じて目を伏せた。 「セルシアの事、怨んでる?」 不意に彼女に聞かれて、少しだけ体が痙攣する。 「――怨んでない、って言ったら嘘になるな。少しは憎んでるよ。 アイツさえ居なければ…。……何度それを思ったか」 今となっては責める気もしないが、それでも憎んでない訳じゃない。 理由が有ろうが無かろうが、この闇へ突き落としたのは紛れも無くセルシアとリトの2人なのだから。 「…憎む事だけが全ての解決に繋がる訳じゃないと思う。許す事も、必要なんじゃないかな…」 「……」 核心を突かれ、言葉も出なかった。 その言葉は最もだ。憎む事で何かが解決する訳ではない。俺もセルシアも大切な物を、大切な人を失ったままだ。 お互いを責めたって唯の傷の抉り合いを繰り返すだけ。 分かってるさ。そんなの、セルシアが過去を明かした時からもう何度も―――気付いてる!!! 「最近のレインは、無理し過ぎてる気がする」 「…そんな事無い」 「ううん。そうだよ。戻ってきてくれた時からずっとそう――。自分の痛みだけ隠して、無理して私達の役に立とうとしてる」 …リネの為に薬草を取りに行った事を指しているのか、ヘレンに負わされた傷を引きずってまで此処までついて来た事を指しているのか。――或 いは両方か。よく分からないが彼女は少し怒った様な声色をしている。 否定はしない。俺が裏切った事でイヴ達に迷惑を掛けた、その償いに少し無理して動いてる時も偶に有る。見抜かれてたとは思わなかったが。 「あのね…無理だけはしないで…。 …その先にある‘結果’が悲しい物なら、私も皆も、悲しいだけだから……」 ―――ああ、やっぱり彼女には勝てないんだな。と、思い知らされた。 回復術も、心境を読むのも、彼女の方が一枚上手だ。 「―――ありがとな、マロン」 静かに零した涙でさえ、彼女は気付いているのだろうか。 何も言わずに頷いた彼女が、優しく腕を握ってくれた。 それでもまだ、雪は降ってる。 * * * この前より体の痛みは大分引いている。レインに時々刻印を確認してもらうけど、刻印の色も大分黒に近づいてきたみたいだ。完成は、近い。 とりあえず明日までにはどうにか間に合いそうだ。安堵して体を起こした。 歩くとまだ痛いけど、流石にもう起き上がる事は出来る。服を来ても其処まで痛まなくなったから、インナーだけ羽織った。 「ねえ」 傍に座っているアシュリーに声を掛ける。部屋に置いてあった書物に目を通して居た彼女が、ゆっくりと顔を上げた。 「何?」 「…何であたし達を許したの」 ――10年前。兄さんとセルシアの起こした‘惨劇’。それはレイン達の運命も狂わせて、アシュリー達ウルフドール族の運命さえ捻じ曲げた。 許される筈も無いその罪を、彼女は簡単に許してくれたけど…それが、返って怖い。本当は憎まれているんじゃないか、って。よく思う。 悩む位なら聞いた方が良いと思ってこうしてストレートに聞いてみた訳だが、問いに対してアシュリーが目を伏せた。 「許した訳じゃないわ。私はお父さんに言われた通り2人に‘罰’を与えた」 「あたし達が自身で自分の罪の重さに気付き――自分で償いを考える、でしょ。その位分かってる。けど」 それじゃあ罪を背負った気がしないの。どうせなら拷問にでも掛けてくれた方が楽だった。 此方を見たアシュリーが、目を細める。 「あのね、リネ。罰や償いって言うのは誰かに与えられてする物じゃないの。自分で気付くから意味が有るのよ」 「でも――」 「じゃあ私が2人に手首でも切り落とせって言えば良かった?…違うわよね」 「……」 小さく、頷く。 俯いていると少しだけ頭を撫でられた。彼女は言葉を続ける。 「私は私なりに考えてあの答えを出したの。 例え私が2人に死を命じたって、手首を切り落とせ何て言ったって、それで全ての人が納得してくれる訳じゃないわよね。 それに、もし私がセルシアに死んで欲しいなんて言ったら今度は私がセルシアを殺した事で別の誰かに恨まれる事になる。 ―――唯害を加えられるだけが‘罪滅ぼし’ではないわ。私はそれを知って欲しいだけ」 胸が痛む。分かってるよ、分かってる。そんな事あたしだって気付いてる。 だから、私が聞きたい事は――。 「…アシュリーは、あたし達の事恨んでないの?」 レインは此処で全て語ってくれた。 ――その上で、あたし達の事が憎いと言った。 当たり前だ。兄さんとセルシア、そしてあたし。あたし達3人が何の罪も無いレイン達の運命を捻じ曲げてしまったんだから。 そしてそれはアシュリーとイヴも一緒。あたし達はネメシスの石を盗んだ事で2人の母親も殺してしまった。 ‘知らなかった’じゃ済まされない。無知は最大の罪なのだ。そんな言葉では屁理屈にさえ成らない。 …沈黙。 暫く彼女は黙っていたけど、やがてあたしの頬に落ちた雫を優しく掬ってくれた。 背中の刻印に触れぬ様、静かに抱きしめられる。 「恨んでないわ」 「…あたし、殺したのよ?アシュリーとイヴのお母さん……」 肉親を奪われる痛みと憎しみを、あたしが一番知ってる。 兄さんが死んでいた事を知った時、一瞬で浮かんだセルシアへの感情は憎しみだけだったから。 「…気にしてないから」 「だって……!!」 「――私もイヴも、貴方の事もセルシアの事も大事な人だと思ってるから。…2人の事憎む筈無いじゃない」 …視界が霞む。 零れてく物が自分の涙だと、認識するのに時間が掛かった。 「だからもう、自分の事責めなくて良いのよ。――貴方の事もセルシアの事も、皆。もう許したんだから」 ……嗚咽が零れた。涙が止まらない。腕の中で肩を震わせる。 「あり、がと……」 少しだけ気分が楽になった気がして――それでも止まらない涙を零し続けた。 * * * 「ごめん、付き合わせて」 「いや。俺も暇だったし」 苦笑した彼の言葉に頷いて返す。それでもごめんと続けたセルシアが、少しだけ空を見上げた。 何をする訳でも無く部屋でじっとしていたら、声を掛けてきたのはセルシアの方だった。 少しだけ付き合って欲しいとケープを渡され、外に行くつもりなんだと気付き付いて来た。恐らく一番声を掛け易かったのが俺だったんだろうな。 リネは部屋で療養中で、アシュリーはその面倒を見ているし、レインとはまだ微妙な仲が続いているのだろう。マロンはそのレインの傍に居るだろ うから、消去法で行くと俺とイヴしか残らない。その内俺を選んだのは歳的にも俺の方が近いから、か。性別の関係も有っただろうけれど。 雪の振る中で街中を通り、街の外までやって来る。 此処まで来て気付いた。セルシアが外に来た理由は薬草の補充だろう。昨日リネの様子を見に行ったら、痛み止めの薬が大分無くなっていた。 「レイン誘った方が良かったんじゃねえか?」 「んー…そうなんだけど、レイン。忙しそうだったから」 ホントは見つからなかっただけだけど。とセルシアが続ける。 …いや、多分セルシアはレインの事探してない、気がする。レインから10年前の話を聞いて以来、2人は少しだけお互いの事避けてる気がした。 前にリネの部屋を訪ねた時、レインとセルシアが何か話していたからそうでも無いのかと一瞬思ったが、セルシアが泣きそうな顔をしていたからや っぱりまだまだ微妙な仲なんだろう。 早くお互いが赦しあえると良いとは思うけど、俺たちが口出ししてもきっと意味は無い。見守るのがベストだとイヴと結論を出した。 降りしきる雪の中で、セルシアが特定の薬草だけを拾い集めていく。 黙っているのも気まずさを感じ、何か話し掛けようと思った所でセルシアが口を開いた。 「やっぱり、レインはまだ俺を憎んでるのかな」 ……振り返る事なくセルシアが呟く。 気にしてるだろうなとは思ってたけど…もしかして俺を呼んだのはそれが原因か。 「…どう、だろうな」 曖昧な返事しか返せなかった。 レインも余り気にしてないとは思うが…全く気にしてない訳では無い筈だ。 仕方なかったとは言え、セルシアとリトはレイン達の運命を引き裂いた。気にしない筈が無い。 「…憎まれてる、よね。やっぱり」 「…全く気にしてない訳じゃ、無いとは思うな」 「……」 セルシアが少しだけ目を伏せた。 その刹那、頬から雫が流れるのが見える。…嘘でも励ましておくべきだったか。しまったと今更ながらに思った。 「…アシュリーの言ってた‘罰’。セルシアはどうするつもりなんだ?」 このままでも気まずいだけなので無理に話題を転換させた。 これでも余り良い話題では無いと思うが、生憎今はそれぐらいしか話しかける事が見当たらなかった。 「……まだ、分かんないかな。――でも」 一息置いたセルシアが、言葉を続けた。 「皆の役に立てる様にはなりたい…かも。 だから今の俺の‘答え’は皆の役に立てること、かな」 雪の積もった草木の傍に在る薬草を摘んで、セルシアが顔を上げる。 …迷いの無い瞳だった。 「…誰かの役に、か」 在る意味最善の‘償い’だ。セルシアの判断は間違ってないと思う。 ――少しだけ微笑んだセルシアが、踵を返した。 「付き合ってくれてありがと。もう帰ろうか」 「薬草は?」 「とりあえずこれだけで十分」 そう言って手の平から薬草を受け取ったセルシアが、来た道を戻る為に歩き出す。 …前にイヴもぼやいてたけど、セルシアは本当に強い奴だなと思った。 あれだけ多くの物を背負ってるのに、どうしてそれでも頑張ろうとするんだろう。 「強いよな、お前」 「……」 無言でセルシアが首を横に振った。 肩が少しだけ震えている。――ケープを羽織ってるから、寒い訳ではないだろう。多分…。 ――時折聞こえる嗚咽を、聞こえない振りをしてセルシアの隣を歩いた。 * * * ――呼び止められ、振り返ると其処には知っている女性の顔が合った。 「暇なら、ちょっと付き合って欲しいんだけど」 そう言ったライカが横を通り過ぎて階段を下りていく。…リネの様子が気になって部屋を出たけれど、彼女の様子を見に行くのは後でも多分大丈夫 だろう。今はライカの後を追おうと思い、彼女を追って階段を下りた。 先を歩くライカが2階の一室で足を止める。扉を開けた彼女が此方を手招きするので、小走りで走り寄った。 案内された部屋に入る。…資料室の様だった。周りを覆う様にして沢山の本棚が置かれており、中にはぎっしりと書物が詰め込まれている。 部屋を少し奥に行ったところに椅子が合って、ライカが其処に座ったので横に座った。刹那目を伏せたライカがぽつりと言葉を紡ぐ。 「明日、行くのよね。塔に」 「…そのつもりです」 少しだけ肩を下ろした彼女が此方を見た。見透かすような瞳が此方をじっと見つめる。 「…なら、もう少しだけ教えておくわね。心龍の事」 「…何であたしだけ?」 「貴方が一番必要そうだったから」 …そんな所まで見抜かれていたのか。苦笑して小さく頷く。 椅子を立ち上がったライカが近くの本棚から一冊の書物を取り出してきた。古い文字で書かれているので何と書いてあるのかは分からない。 本を捲ったライカが、書物に目を通しながら言葉を続けた。 「前にも少し話したけど…夢喰いを封じた道具――ネメシスの石は、心龍の体の一部から出来ているの。 心龍自らが命を掛けて封じた魔物がアイツだった。って事」 …やっぱり、それだけ夢喰いは強大って事か。 でも、どうして夢喰いは生まれたのだろう。世界を創ったのが心龍なら、夢喰いを作ったのも心龍? 「…どうして夢喰いは生まれたんですか?」 「……正確な記録は残ってないわ。 仮説によるとウルフドール族の失敗作…って言ったら失礼だけど、心龍がうまく作れなかった‘ウルフドール族’の集まり。って事らしいの」 …心龍が創るのに失敗したウルフドール族達の、末路…。それが‘夢喰い’。 それって何か悲しい。世界を見守る為に生まれた筈が、世界を壊す存在になっていた――なんて。 「夢喰いを封じた心龍を祭る為にあの塔は造られた。 ――塔を造ったのはあたし達のご先祖だから、あたし達は神官という唯一心龍を対話をする地位を持っている」 …そうか。あの塔を造ったのはライカやロアの先祖だったんだ。神官は誰でもなれる役職では無い、って事か。当たり前だけど。 「多分心龍は怒ってる。ネメシスの石が壊れたこと、そして夢喰いが復活してしまったこと――。 自分の体の一部を掛けて封印していた化け物がこの世にもう一度降りたんだから、しょうがないって言えばしょうがないけど」 肩を竦めた彼女が再び書物に視線を落とした。 数枚ずつ捲りながらライカが言葉を続ける。 「…気をつけて欲しいのよ。心龍は心を見通す。貴方達の心の闇も、一瞬で見抜くわ。 そして弱いところに漬け込んで――その人を追い詰めようとするの。怒ってる今は尚更そうかも」 「……承知、してます」 それでも心龍には会わないといけない。何が何でも夢喰いを封じる方法を知りたいんだ。あたし達だけでどうにかなる技じゃないかもしれないけ ど、それでも何もせずに此処で立ち止まってるよりは幾分良い結果がでる筈。 一通り書物に目を通したライカが本を机に置いた。再び此方を見た彼女が瞬きを繰り返しながら呟く。 「此処からはあたし個人のお願い」 目を伏せたライカが静かに告げた。 「どうか、ロアを信じてあげて欲しい。――見てて分かった。ロアが一番信頼してるのは、貴方だって」 「――必ず」 成るべく大きく頷き、それから少しだけ微笑んだ。 同じく少しだけ微笑んだライカが椅子を再び立ち上がる。 「此処にある資料は殆ど心龍やネメシスの石、夢喰いに関わる物なの。良ければ見ていって。役に立つかもしれないから」 彼女はそれから、用事が有るからと言って部屋を出て行ってしまった。 少しだけ本棚を見てみると、確かに幾つか夢喰いやネメシスの石に関する資料が並んでいる。 と言っても殆どが読めない文字で書かれている物なのでせめて読める文字の物だけでも読もうと思い、適当に本を掴んで取り出した。 ――どうか信じて欲しい。 ライカの言葉が脳裏を横切る。 …何故あの様な事を言ったのか分からないけど、あたしは今も十分ロアの事信頼してるし、勿論マロンやレイン達の事も信用してる。 だからあの約束を破る様なことだけは絶対にしない。 誰かに信じられること、誰かを信じること。 その大事さを、痛み分けを繰り返したあたし達が一番知ってる筈だから。 目を閉じて少しだけ深呼吸した。 BACK MAIN NEXT ※視点補足※ モノローグ(イヴ視点)→レイン&マロン(レイン視点)→アシュリー&リネ(リネ視点)→ロア&セルシア(ロア視点)→イヴ&ライカ(イヴ視点) です。分かりにくさは愛嬌←← |