どうやらこの塔は思っていた以上にとんでもない塔の様だ。
暗闇の中を前を歩いている仲間を追い掛けて歩いた筈が、気付いたら俺独りになっていた。
心龍て野郎はとんでもない悪趣味してやがる。
心の中で悪態を吐きつつ目の前に見える階段を目指して歩き続ける。あの階段の先に誰か居れば良いのだが。
そうして階段の前に辿り着き、ふと何気なく来た道を振り返った。
「――っ?!」


*NO,117...‘男’の闇*


…思わず足を止めてしまった。
振り返った先には、居る筈の無い人物が見えた。
それでもその虚像を追い掛け、階段を昇り掛けていた足を下ろして少しだけ近付く。

「――どうして此処に」

分かってる。頭が警報を鳴らしている。
これは罠だ。心龍が俺に仕掛けた、心の闇を突く心理攻撃。
それでも罠と割り切れない自分が居る。不甲斐無さを感じるが、どうしても彼女だと思えて仕方なかった。
心の何処かで、罠だという事は気付いているのに。

「ねえレイン」
手を差し伸べられる。彼女が歩み寄ってくる。
それでも俺は、この場を動けないで居る。

彼女の指先が頬に触れた。ちゃんとした人間の皮膚だ。唯その指先は凍る様に冷たかった。

「何処か遠くに逃げない?2人きりで――」

私も疲れたの。彼女はそう言って此方に体を預けてきた。
目がチカチカする。頭の中では未だ警報が鳴っている。そうだ、これは罠だ。彼女が此処に来て俺を赦してくれる筈が無い。
分かってる筈なのに、何処かでこれが本物だと期待する自分が居る。そんな事有り得る筈も無いのに。
彼女は、ノエルは言葉を続ける。

「何もかも忘れて、また2人で何処かで暮らせば良い。union何か無い街で――ずっと、2人きりで」

…逃げる、のも選択肢なのだろうか。
俺だってこれ以上unionと関わるのは嫌だ。それが俺自身が傷つく事だと分かりきった結果だから。
そうさ、俺だって自分の身が可愛いんだ。だからこれ以上自分を自虐する様な事を繰り返したくない。この場所から逃げれたのなら――偶にそんな
事を考えた事も、合った。
彼女と一緒に行けばその願いは叶うのだろうか。グローバルグレイスで過ごしたあの頃の様に…もう一度、何もかも忘れて2人で笑い合える?
泣きたい位に掴みたかった幸せは目の前に存在する。簡単な事だ。この場所から逃げ出して誰も知らないような土地に彼女と逃げれば良い。
けれどそれが正しい選択なのか――。と聞かれたら、きっと違うだろう。
俺がしなくてはいけない義務。
それはBLACK SHINEに所属していた物として、ヘレンの計画に終止符を打つ事。それが俺なりの彼女――イヴ達への‘償い’の表し方なのだ。此
処で逃げたら償いも何も合った物じゃない。

ああ、セルシアもこうして悩んでいたんだろうか。
償いという逃れても逃れきれない罪の十字架を独りで背負って、十字架に潰されない様歩く事が精一杯で。
俺は散々アイツの事を責めたけど、今ならアイツの気持ちも分かる様な気がする。

逃げれたらどれだけ楽なのだろう。
償いなんて忘れて、俺のするべき‘義務’も投げ出して、大切な人と一緒に時を過ごせたら。きっとそれは本当に幸せなんだろう。

「そうよ。だから逃げれば良い。
償いも抗いも結局無力なのよ。犯した罪は消えない。消えないのなら、忘れてしまえば良い」

それは甘い蜜の罠。
俺が此処でその言葉を肯定すれば、きっと楽になれるのだろう。今度こそ幸せになれると思う。
けれどその判断はまたイヴ達を裏切る事となるのだ。俺の事をあれだけ懸命に信じてくれた彼女達を、また別の意味で裏切る事となる。

「関係無いじゃない。私と一緒に来れば、もう彼女達と関わる事だって無いわ」


…関係無い。
そうだな、確かに俺は関係ないよ。


知らなかった頃なら‘関係無い’で済まされていた。




「…関係無い、で割り切れる程俺は出来た人間じゃねえんだ。ノエル」

関わってしまった、お互いを信頼し合った。
そりゃあ、ノエルとあいつ等。天秤に掛ければ最後に勝つのはノエルだと思うけれど。
散々酷い事してきた俺の事を、それでもまだ信じてくれてる奴が居るんだ。俺はそいつ等の期待に応えてやらないといけない。
償いだけが彼女達への誠意の表し方じゃない。
最後まで逃げずに俺自身と向き合う事。それがきっと彼女達の求めている答えの一つ。

「全て終わったら戻るよ。本当のお前の所に」

吹っ切れた。今の言葉で、完全に。
言い訳じゃないけど、ノエルも半端な所で何かを止める様な奴じゃなかった。だから今もBLACK SHINEに所属しているんだと思う。一度関わってし
まった事はキリが付くまで執着するのだ。俺もノエルもそれは一緒。執着するからこそ、俺達は傍を離れなかった。離れたくなかった。
壊れてしまったのは何時からだったのだろう。頬を涙が伝う。
そうだ、これが俺の選んだ道。俺も覚悟していたんじゃないか。俺が裏切った後にイヴ達がBLACK SHINE本部まで追いかけて来た時に。
きっと彼女達に着いて行くという事は苦難が続くという事なのだろう。セルシアの事も制裁を加えれずに終わる。そんな事気付いていた。気付いて
いたけれど、俺はこの道を自らで選んだ。逃げる事はあの時に出来た筈だけど、俺はそうしなかった。
俺が自分で決めたんじゃないか。
そんな事も忘れてた。俺って何処まで馬鹿なんだ。苦笑して、ノエルの体を引き剥がす。


「一緒には行けない。俺にはやる事が有る」

向き合うと、刹那彼女が微笑んだ。
その数秒後には彼女の体が泥の液に様に下から溶けて行く。――このモンスターを、俺は知っていた。
‘ドッペルゲンガー’…。相手の心理を突くのに最も適したモンスター。
人が最も恐れる何かに変身し、相手が怯んでいる間に攻撃するという卑劣なモンスターだ。BLACK SHINEでも数匹飼い慣らしていた。
やっぱり虚像だったのか。がっかりしたような、安心したような気持ちになる。
ドッペルゲンガーは完全に原型の泥の姿に戻ると、地面に溶けて行った。…戦う気は無いらしい。どうやら本当に俺の心を試していただけの様だ。
踵を返し、再び階段を登った。
これが正しい選択だったのか――俺にはわからない。けれど。
こんなにどうしようもなく駄目な俺の事を信じてくれる人が居る。だから俺はその人の為に動く。それだけ。
長い階段を登った果てに見える赤い色をした扉を、勢い良く開いた―――。










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