鈍器で殴られた様な鈍い痛みが走ったのはついさっきの事だ。
急に頭が痛み出して、ちょっと待ってとイヴ達に声を掛けようと思ったけれどそれより前に意識が遠のいてしまった。
一体何時間眠っていたのだろう。或いは数分なのだろうか。
目を開けて、辺りを見回す。
「――気がついた?」
不意に声を掛けられ後ろを振り返ると、傍でセルシアが笑ってた。


*NO,118...‘少女’の闇*


「…セルシア」
此処は何処?皆は何処に行ったの?聞きたい事は色々有るけどまだ頭の痛みが残ってる。上手く言葉に出来なかった。
そんな様子を見てセルシアが優しく頭を撫でてくれる。安心して彼に凭れ掛かった。
「なあ、リネ」
不意にセルシアが話し掛けてきた。何だろうと思い彼の顔を見上げる。頭の痛みの所為か、視界がぼやけて上手く表情が読み取れなかった。

「――もう、止めようか」
「…へ?」

思わず間抜けが声が出る。ぼやけていた視界が急に拓いた。セルシアは、笑ってた。

「俺達は今まで散々罪を償って来たじゃねえか。だから、もう罪何て背負うの止めよう。俺ももう疲れた」

最後の方はほぼ呟きに近い言葉だった。
セルシアがそのまま此方に体重を掛けて来る。…何を言いだすんだと、本気で思った。

「…本気で言ってるの?」

何かが、可笑しい。
少しずつその異変に気付き出す。そうよ、第一皆が居ない事から可笑しい。皆は何処に行ったの?何でセルシアだけが私の前に居るの?
そこまで考えてイヴに忠告された言葉が過ぎった。刻印の痛みに屈伏してた頃、見舞いに来てくれたイヴが忠告だけ残していった時が合る。
――心龍はあたし達の心を読み取る。だからあたし達がトラウマにしてる物…自身の‘心の闇’と、向き合う事になるかもしれない――
…セルシアの‘闇’はきっと兄さんだ。あれだけはどう考えても吹っ切れそうにないから。

じゃあ私は?
其処まで考えて、はっとなる。

あたしの闇は、きっと。―――兄さん、じゃなくてセルシアだ。
今までずっと一緒に居てくれた。兄さんの代わりにあたしを守ってくれた。
そんな人をあたしは何度も何度も傷付けた。ロクに謝りもしないで、何時も責めてばっかりで――…。心の中でずっと其れが引っ掛かっていた。
そうしてあたしが謝れなかった事は何度合ったのだろう。ずっとセルシアに迷惑を掛け続けて、挙句喧嘩した時には「あんたが死ねば良かった」何
て最低な言葉を言い続けた。
セルシアはあたしの言葉で何度傷ついたんだろう。
彼自身が何も言わないから分かんないけど、きっと心の中で傷付いてる。その傷を付けてるのは兄さんでもレインでもなく、あたしだ。


分かった。直感が訴えてきた。
今目の前に居るセルシアはあたしの知ってる‘セルシア’じゃない。だってセルシアがあんな事言う筈無いもの。


「アンタは何者なの?」

そして言い様の無い恐怖に襲われる。
じゃあ、今目の前で喋っているセルシアは誰?私の知ってるセルシアじゃないなら、何だって言うの?


「俺は俺だよ?」

「違う。あたしの知ってるセルシアはそんな事言わない」

「どうしてそう思うの?俺だってもう辛いんだよ。疲れたの。何もかもに。
――レインの事もリトの事も俺が悪かったと思ってる。けれどもう疲れたんだ。何も考えたくない…だから、リネ。一緒に逃げよう…」

「…あたし、は」


――どうしよう。話を聞けば聞くほど。本物に見えて来る。
違うって心が訴えてるのに。同時に本当に本物だったらどうしようって、思ってる。
目の前のセルシアの言葉は本当のモノなのかもしれない。あたしは今まで散々セルシアを責めた。レインもBLACK SHINE本部でセルシアを批難
した。だから償いという十字架に耐え切れずに、押し潰されてしまったのかも知れない。
あたし達がセルシアだけを責め続けたから、考えられない事でもない。

どうすれば本物って分かるの。どうすれば偽者って見破れるの。あたしはそんな事考えた事も無いから分からない。
皆が居ない理由も分かってきた。あたしがこうして迷った時に誰かに相談出来ない様にする為だ。
そう、これはあたしの判断に掛かってる。もし目の前のセルシアが本当のセルシアならあたしが彼を傷つけて終わってしまう。
けれど偽者ならこんな言葉全て嘘なのだ。同情の欠片も無い。
どっちなの。目の前に居るのは、ホンモノ?偽者??

「リネも疲れたでしょ?俺が散々迷惑掛けたもんね。ごめんね」

セルシアの手が頬の雫を掬ってくれた。肩を引き寄せられ、無理に抱き締められる。
肩が震えていた。震えていたのは、あたしだったのかセルシアだったのか。もう分からない。

「逃げよう。こんな事無意味だ。どうせ世界ももう崩落する。俺達は何も救えなかった。
それならいっそ、2人で逃げれる場所まで逃げようよ。世界の最果てまで行こう。
独りじゃないから。2人だからきっと大丈夫」

頭の痛みが激しくなる。まるであたしに警報を放ってる様だ。実際そうなのかもしれない。直感がセルシアじゃないって訴えてるから、頭の痛みが
それを教えてくれているのかもしれない。
あたしは如何すれば良いんだろう。このままセルシアに従って、流れて。それもアリなのだろうか。
瞳を閉じたら全てが終わってしまう気がする。もうセルシアから目を離せなくなっていた。
イヴの言葉が薄れてく。あたしは、これ以上セルシアを傷付けたくない。だから従う。それで良いのかもしれない――…。


「行こう。大丈夫。俺が居るから」

優しく差し伸べられたその手を、握り返しそうになる。
指先がセルシアの指先に触れた所で―――まるで目が覚めた様に何かが吹っ切れた。
何が吹っ切れたのか、何がキッカケとなったのか。あたし自身も分からないけど、指先が触れた瞬間に分かった。


セルシアじゃない。目の前に居るのは、絶対にセルシアじゃない!!

「止めて!!」

‘セルシア’の体を突き飛ばした。立ち上がり、息を整える。
違和感の理由にやっと気付いた。セルシアの言ってる言葉は全て兄さんを否定する言葉だからだ。
セルシアはグローバルグレイスの下水道で兄さんと戦った時、ちゃんと頼まれてたじゃないか。
ネメシスの石の事――10年前の惨劇に終止符を打つ事を。
けれど今のセルシアはそれをまるきり守ろうとしていない。まるで兄さんとの約束なんて最初から無かったみたいにしてる。
可笑しいよ。だってセルシアはあんなに兄さんの事気にしてたんだよ?こんないきなり吹っ切れる筈が無い。

第一にセルシアがイヴ達を裏切る様な事をする筈がないんだ。
逃げるって事は彼女達から離れるって事だ。
此処まで着いてきていきなり抜けたら、イヴ達はどれだけ悲しむんだろう。レインが裏切った時以上の悲しみを植えつける気がする。
あたしはセルシアの事も大事。だけどあたし達を信じてくれたイヴ達の事も同じくらい大事なの。
それはきっとセルシアも一緒だと思う。あたしの事を大事にしてくれるけど、皆の事もきっと同じ位大事だと思うの。
そんな人達を傷つけてまで逃げようなんて、思う訳が無い。

これが決め手だ。だから目の前に居るのは絶対に‘セルシア’じゃない。今やっと確信が持てた。


「あたしはセルシアの事大切だよ。大切だから傷付けたくないの。
だけどイヴ達の事も大事。…セルシアだって一緒でしょ?だから、あたしは此処から逃げない。罪も背負ってく」

きっとあたしの判断が何時もセルシアを迷わせてた。あたしは何時も曖昧な判断しかしていなかったから。
そしてあたし自身。それがあたしなんだと割り切っていた。
あたしの闇はセルシアじゃなくて――あたし自身。今は何となくそう思う…。

立ち上がったセルシアが此方を見つめた。見つめ返すと優しく微笑んだ表情が、除々に泥の様に溶けて行く。
驚いて術を構えようとして――見覚えのあるモンスターだという事に気付いた。
SAINT ARTSでも結構注目されてたモンスターだ。この泥の塊は‘ドッペルゲンガー’。相手の思っている人間に化けて相手をだまし、攻撃する高
度な知能を持つモンスター。
そうか。コイツが偽者の正体だったのか。納得して呆気に取られる。悩んでたのが恥ずかしく思えてきた。何で一発でセルシアじゃないって見抜け
なかったんだろう。
完璧に泥の姿になったドッペルゲンガーはやがて床に溶ける様に消えていった。…どうやら戦う気は無かったみたいだ。
振り返り、部屋を見渡すと階段が見える。皆はあの先に居るんだろうか。
独りで部屋に居る事が急に怖くなり、慌てて階段まで走った。階段を駆け上がり、目の前に現れた赤い扉を開ける。
…薄暗い廊下が続いていた。他に道は無さそうだし、このまま進むしかない。か。
扉を閉めて薄暗い廊下を歩き続ける。一本道みたいなので助かった。これで変な曲がり角とか合ったら確実に迷ってた。
やがてまた扉まで辿り着く。今度は鉄の扉だ。開くのかなと思いノブに手を掛け扉を思い切り押してみると、案外簡単に開いた。


「…此処は」

大ホール…?か何かだろうか。広いホールの上にはシャンデリアが飾られている。
そしてあたしが今来た扉以外に、6つの扉が有った。
って事は皆この扉の先に居るんだろうか。試しに別の扉のノブに手を掛けてみたけど此方からは開かない様になってるみたいだった。
…此処で待つしかない、か。
ホールの中央にある螺旋階段の一段目に腰を下ろす。誰か来ないかな。それとももう皆先に行っちゃったんだろうか。
溜息を吐く。…セルシアに会いたい、今度は本当の。
俯いていると、あたしがさっき開け様としていた扉が開いた。同じ様な薄暗い廊下から、レインが顔を覗かせる。

「レイン」
「リネ、か。…本物だよな?」
…本物って。つまりレインもあのモンスターと遭遇したんだろうか。

「アンタも会ったの?ドッペルゲンガー」
「ああ、お前もか」

てことは本物か。と呟いたレインが傍に近付いて来て隣に腰を下ろした。



「誰だったの」

「何が」

「ドッペルゲンガーが化けてた人」

ちょっと気になった。
差し詰めマロンか、ノエル辺りじゃないだろうかと予想は付くけど、やっぱり気になるもんは気になる。

「…ノエルだよ。――そういうお前は如何考えてもセルシアだろうな」
「そうよ。悪い」
「いいや別に」
何かあっさり予想されると悔しい。頬を膨らませるとレインが苦笑した。
と同時。別の扉が開く音が聞こえ、レインと2人で咄嗟に音のした扉の方を見る。

「…レインとリネ?」

「アシュリー」

不思議そうな顔をしながら彼女が傍に寄って来た。

「アシュリーも見たのか?アレ」
立ち上がったレインが彼女に問い掛ける。
「アレって、ドッペルゲンガー?」
どうやらアシュリーも一緒みたいだ。この調子だと後4人もドッペルゲンガーと何か話しているんだろうな。
予想だとセルシアはリト兄さん。マロンは…レイン辺りかな。結構気に掛けてたみたいだから。
ロアとイヴは完全にお互いじゃないだろうかと思う。ああでも、ロアはライカさんか?まあ後から本人に聞けば良いか。

「他の皆はまだ?」
「みたいだな。俺が来た時もリネしか居なかった」
「そう」
彼女もまた階段に腰を下ろす。とりあえず後4人が帰ってくるまでは此処で待機するのが一番だろう。
早く誰か帰って来ないかと思い、扉をぐるっと見回した。










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